ブックマーク / yuuboku.hatenablog.com (7)

  • 古き良き時代のオセアニア オーストラリア⑮ - 地球へめぐり紀行

    オパールに取り憑かれた男たち 私は、中央オーストラリアのオパールの原産地クーパーペディで、オパールをもう7年間も捜し続けて、未だに掘り当てることのできない青年ビルに出会った。 ビル・ヴァルマスは30歳で独身。彼はギリシアのアンドロ島生まれで、16歳で水夫になり、全世界を航海する。 30歳のビル・ブァルマス そして、1960年にオーストラリアに移住し、ギリシア人の多いアデレードに落ち着いた。 アデレードのゴム工場で一緒に働いていた友人が突然姿を消し、1年後に再び彼の前に姿を現した時は、文無していつもピーピーしていたのに、ダブルの背広にシガーをくゆらせ、フォードの62年型を乗っていた。 宝石オパールの原石と研磨したオパール 友人は、クーパーペディでオパールを掘り当て20万ドル稼いだと言う。欲望の張子の虎となったビルは、その一か月後にはアデレードから大陸横断運送のトラックに便乗して、クーバーペデ

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  • 各民族の伝統体育⑥ 伺族(広州壮族自治区・湖南省) - 地球へめぐり紀行

    ①広州壮族自治区トン族 花火拾い 打ち上げ花火に火をつける 空に舞い上がり、地上に落下した物を奪い合う競争 ⓶湖南省伺族 鶏の羽の付いたものを持つ男女 羽の付いたものを投げ合って、落とさないように受け取る 男女お見合いのようなゲームで、気の合った者同士がともに踊る ③湖南省伺族 演武 湖南省トン族の椅子をもっての演武

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  • 各民族の伝統体育② カザック族(新疆ウイグル自治区) - 地球へめぐり紀行

    馬術 フフホトの競馬場 競馬場でのカザック族 カザック族の馬術披露 カザック族の馬術色々 カザック族の馬術 疾走する馬上の男性の肩に立つ女性 競馬場でのカザック族の馬術色々 カザック族のポロ カザック族の馬上射的

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  • 敦煌の鳴沙山と月牙泉(1990年8月) - 地球へめぐり紀行

    私は敦煌には2度訪れた。2度目は1990年8月6日だった。敦煌のホテルに泊まって、翌8月7日は1日ツアーのバスで、敦煌の南約5キロの砂漠の中にあるオアシス月牙泉を訪ねた。 西安駅から乗った汽車を柳園駅で下車し、ここからバスで敦煌へ 二泊した敦煌賓館 敦煌からバスで月牙泉に向かう途中の荒野 砂漠は東西40キロ、南北20キロに渡る広大な砂地が広がっており、砂丘が多い。その砂丘を“鳴沙山”と呼んでいるが、その鳴沙山の谷間に湧き出た泉を“月牙泉”と呼んでいる。これは泉が三日月の形をしており、中国語で三日月は“月牙”なので、“月牙泉”なのである。 砂丘の多い砂漠 砂丘の谷間 月牙泉を囲む砂丘の鳴沙山 鳴沙山に囲まれた三日月形の月牙泉 周囲を緑のない砂地に囲まれた盆地のような所にある月牙泉は、枯れることがない透明な水の池なのだが、一体どこから湧いているのか、広い砂漠の現場に立って眺めてみたが一層分から

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  • 中国内蒙古のモンゴル族① モンゴル族の角力(すもう) - 地球へめぐり紀行

    1982年9月初めに、中国内蒙古自治区の区都フフホトで、「全国少数民族伝統体育運動会」が開催されることを北京で知った。 全国少数民族伝統体育運動会場 アジア諸民族を踏査している私にとって、中国大陸の各民族が一堂に集まって、伝統体育を披露する機会などめったにないことなので、是非参観したかった。 フフホトにおける運動会場のセンター モンゴル角力の選手 当時はまだ、中国内を自由に旅行できなかったので、中華全国青年連合会傘下の青年旅行社に頼んで、訪問許可を取ってもらった。 内蒙古で私の世話をしてくれたニマさんと通訳のホシコさん(右) 内蒙古の区都フフホトでは、内蒙古青年旅行社の社員で、モンゴル族のニマさん(32歳)が、いろいろ世話してくれた。そして、通訳には、山形大学に2年間留学し、帰国したばかりの、モンゴル族であるホシコ・ポインさん(46歳)をつけてくれた。 縦に二列に並んだ選手たち 選手たちは

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  • 新制中国の望郷編㉒ 江西省 野生稲の群生地 - 地球へめぐり紀行

    1990年9月に、江西省東部の東郷県にあると言われる、野生稲の生えている現場を訪ねることに失敗してから、しばらく経った97年10月下旬、私は再度現地視察を試みた。 青湖光家新村 野生稲は、東郷の町から南東へ約26キロ離れた、嵩上鎮青湖光家新村中塘と呼ばれる所にあるという。そこへは、以前より簡単に行けることが分かり、密かに案内してもらうことになった。 光家新村中塘近辺の稲田 東郷から南へ20キロの嵩上鎮まで舗装された道を15分で着く。以前は、この道が未完成で通れなかった。人口数千人の嵩上鎮から東へ折れ、田圃の中の田舎道を進む。 車を止めた丘から降りて歩いて進む 砂糖黍畑と稲田の続く中にある小さな光家新村を過ぎ、赤土の大地を4キロほど進むと、道が2つに分かれていた。支道の北東方向へ折れ、中国杉の林や竹林、雑木林などの中を激しく揺られながら、2キロほど進むと丘に出た。車はそこで止まった。 「あそ

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  • 新制中国の望郷編⑱ 武夷の崖墓と祖霊信仰の起こり - 地球へめぐり紀行

    江南地方には、古くから懸崖(人が登ることのできない絶壁)の高い所に棺が安置されていることはよく知られていた。懸崖の棺は、一般的に懸棺と呼ばれ、その場所は崖墓と呼ばれいた。 船棺の平面図 博物館に展示されている船棺 崖墓に安置されていた現場の写真 高い所の崖墓から下におろされた時の写真 崖墓の最も古いものは、福建省武夷山市の大王峰にある崖墓。最初に武夷山市の崖墓を見たのは、1995年1月。それ以来、崖墓と祖霊信仰と稲作文化のかかわりについて考えるようになった。そして、1997年10月29日、再び武夷山市を訪れた。 武夷山市の博物館裏にそびえる大王峰 大王峰の絶壁にある崖墓跡 大王峰の上から見た武夷山市 大王峰の上から見た手前道教の建物の道灌と武夷宮の中にある博物館 私は、10月23日から28日まで、江西省の南昌で開催されていた「第2回農業考古国際学術討論会」に出席し、多くの専門家たちから情報

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