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政治と東北地方太平洋沖地震に関するoyoyomのブックマーク (4)

  • 「3.11」後の日本:失われた信頼

    (英エコノミスト誌 2012年3月10日号) 地震、津波、原発メルトダウンという3重の災害は、多くの制度機構に対する日国民の信頼を粉々に打ち砕いた。 福島県浪江町請戸(うけど)地区で生まれ育った横山和佳奈さん(13歳)は、世界が足元から崩れ去ったあの日からちょうど1年になる3月11日に、同じ請戸の人々とともに伝統の田植え踊りを披露することになっていた。 この日は楽しい1日になる。今では滅多に会えない以前の学校の友達と一緒にいられるからだ。だが、悲しみも入り混じるはずだ。請戸の人々はいても、もう請戸という集落は存在しないからだ。 二度と住めない古里の伝統を残す 1年前の身を切るような寒さのあの日、請戸地区は津波の直撃を受けた。1800人の地区住民のうち、和佳奈さんの祖父母を含む約180人が死亡した。救助活動をすれば助けられた人もいたかもしれないが、近くの福島第一原子力発電所1号機の原子炉建

  • 役に立たない日本の政治 日本を復興するのか、破滅させるのか JBpress(日本ビジネスプレス)

    (英エコノミスト誌 2011年4月30日号) 国の未来が見えない中でも、日政治家は自分のことばかり考えている。 3月11日、福島第一原子力発電所が地震と津波に襲われ、原子炉が機能停止に陥った直後、一帯に設置されていた放射性物質の測定装置が1台を除いて全滅した。そこで東京の監督官庁は、放射能漏れの深刻度を測定する計器を積んだ車を送り出した。 福島第一原発を運営する東京電力の監督役に先頃任命された細野豪志首相補佐官の話によると、困ったことに、この車は渋滞に巻き込まれてしまった。さらに津波の影響で全国的な燃料不足が発生する中、車がガス欠に陥った。そのため、政府は測定任務を断念した。 その後、政府は福島第一原発事故の深刻度は25年前に起きたチェルノブイリ原発事故と同じレベルに相当すると宣言したが、細野補佐官によると、放射性物質の放出量に関する確かなデータが得られるまでに7ないし10日を要したと

  • 「我慢」に沈黙を強いられるニッポン  JBpress(日本ビジネスプレス)

    (英エコノミスト誌 2011年4月23日号) 世界は日のストイックな精神を称賛した。だが、そこには心配な面がある。 自制心に富む人々の国で、最も我慢強い被災者は、誰もが認める通り、3月11日に地震と津波に襲われた貧しい東北地方の人々だ。 この地方で最も愛されている詩人、宮沢賢治(1896年生まれ)の一番有名な詩は、「雨ニモマケズ」という一節で始まる。 この詩は、厳しい状況にも文句を言わず耐え忍ぶ美徳を讃えている。宮沢と同じ東北の人々が、当の我慢強さをこれほど試されたことは滅多になかった。気になるのは、東北の人々が黙って耐える期間が長くなればなるほど、彼らが日の復活を促す役割を果たさなくなることだ。 この1週間、3つの出来事が、「ガマン」という日に広く浸透している精神の有効性に疑問を投げ掛けた。 我慢の精神の有効性に疑問 まず、東京電力が4月17日に、損傷した福島第一原子力発電所を冷

  • 震撼する国ニッポン  JBpress(日本ビジネスプレス)

    3月11日に東北沿岸部を襲った巨大地震と津波、それに続く福島原発事故が日を震撼させている(写真は、宮城県気仙沼市で、瓦礫の中で作業にあたる自衛隊員)〔AFPBB News〕 これは、予想されていた「大地震」でさえなかった。世界最大の大都市である東京は長年、巨大地震に身構えてきた。だが、そのマグニチュードの事象が起きた時、震源地となったのは、東京より人口の少ない東北地方沿岸部の沖合いだった。 今では世界が嫌というほど分かっているように、それは始まりに過ぎなかった。地震に続いて起きたこと(破壊的な9メートルの津波と、近くの原子力発電所で起きかけたメルトダウン)は、日を芯まで震撼させた。 声も出ない恐怖の中で、人々は人的被害の大きさ(死者は1万人を超え、50万人が避難民となる可能性が高い)が次第に明らかになるのを見つめてきた。菅直人首相は、地震、津波、原発事故という3重の惨事を、日の戦後最

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