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2006年10月15日のブックマーク (4件)

  • だけども自由を志向できない - シロクマの屑籠

    それでも自由を志向したい - fujixeの日記 リスペクトに値するご意見です。一定以上の廉恥心と知性を持った方は皆一様にそう仰りますし、事実そのような人達は自由度が高ければ高いほど、適切に自由を運用出来るんでしょう。ああ、養豚場の豚よりも、不満足なソクラテス。掛け値なしに素晴らしいことです。fujixeさんの個人的決意に対し、自由に憧れる一個人としては共感を覚えるところです。 ですが、そういう人達だけで地球が回っているわけじゃないという点にこそ、頭のいい人はもっともっと注目すべきだと思うんですよ。“高水準な人々”の理想論も良いものですが、理想に追随出来ない人達を直視するところから、理想に至る遠大な路がはじまるんじゃないかと僕は思うんです。 不満足なソクラテスと養豚場の豚とどちらを選ぶかって時、娑婆の人間ってのは(結果として)大半が後者を選んでしまうんじゃないでしょうか?もし、「ソクラテス

    だけども自由を志向できない - シロクマの屑籠
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2006/10/15
    ↓だから、この文章は、そういう啓蒙家の保障する自由って誰にとって望ましい自由なのさ?という問いなわけですよ。そんな自由、あっても持て余す人がわんさといるじゃない。それが気になるです。
  • 電車でみかけたこんな人、あんな恋 - くらやみのスキャナー

    おくればせながら、はてなのパパことid:kanoseさんのエントリARTIFACT@ハテナ系 :昔からいた電車の床に座り込む人たちに反応してみたいと思います。ロートルの語る昭和の昔、電車内の風景について。●ゴミは座席下にまず、列車内でゴミは座席下に捨てるのがマナーという話だけど、1950年代東海道線で撮られたという下の写真を見て欲しい。「ええ! 昔の電車の床ってこんなに汚いの?」と思われるかも知れないけど、1970年頃の僕の記憶では、ある程度の長距離を走る電車では、定期的に車内清掃のひとがやってきた。なので、それに合わせてみんな弁当のゴミはもちろん、ポケットのちり紙や鞄の中の紙くずなども(わざわざ)取り出して床に捨てていた。その瞬間の写真だからとりわけ汚いのだと思う。(運行中の)車内清掃っていつなくなったのだろう。●電車内ではズボンを脱ぐ残念ながら写真は無いのだが、電車に乗るとおもむろに

    p_shirokuma
    p_shirokuma 2006/10/15
    人間は、必要な時に必要なだけ野蛮にも粗野にも倫理的にもなれる。
  • Horror & SF - Coco's Bloblog - 今日の早川さん

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    Horror & SF - Coco's Bloblog - 今日の早川さん
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2006/10/15
    (←オタク文化タグは、個人的便宜上。)
  • 「女性という生きづらさ」に酔っている女性/「男性という生きづらさ」に酔っている男性は、「男女差よりも人間の個人差のほうが大きい」という意見に嫌悪感をしめすのだろうか? - otsune風呂

    非モテ女性は「女性という生きづらさ」に酔っている女性 非モテ男性は「男性という生きづらさ」に酔っている男性 という定義も無理矢理できるよね。という話を聞いた。 どちらも、自分の努力では変えられない(厳密には法改正で変えられるようになったけど)性別や性の役割に、自分の現状の不遇さの理由を求めてしまっている。 オレは「人間としての個人差」が物事の大抵の理由だと思っているので、男女差は単なる理由の一つでしかない。 (まぁ文脈として「格差社会や少子高齢化などの様々な課題から、男女の性の役割差にだけフォーカスして、それに意見を主張したい」というのは読み取れるかな。その場合は、単に個人差問題も男女差問題も並列する話であって、対立する議論にはならないだろう)

    「女性という生きづらさ」に酔っている女性/「男性という生きづらさ」に酔っている男性は、「男女差よりも人間の個人差のほうが大きい」という意見に嫌悪感をしめすのだろうか? - otsune風呂
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2006/10/15
    彼らが一点に拘ることによって得られる疾病利得とは、つまりそういうものだと僕も思います。