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* 2007年04月01日 ryo_zin ryo_zin はてな村 なーんだ、結局palさんは女の子とクネクネしたいだけなんじゃないのか?非モテのルサンチマンというより、実は女の子とコミュニケーションが取りたい><ってだけなのでは?絡むの女の子ばっかりやん。 はてなブックマーク - pal-9999の日記 - id:lovecallは死にました。 まぁまぁ。確かに、そういう理由もありますよ。 っつーか、種族的傾向として、男とクネクネするより、女の子とクネクネしたほうがいいというのが、確かに最たる理由なんで、そこは否定しないんですが。 ですが、もう一つ理由があるんですよ。ちょっと聞いてくださいよ。合理的な理由だから。 今までの犠牲者集↑うちのブログのお色気担当の皆様 例えば、うちのブログじゃ、今まで上記の方達に絡んだりしたわけですがね。まぁ、恥ずかしい絵にしてみたりボコボコにしてみたりボコ
だいたい、「どこが」に重きを置くからおかしいことになるんです。 「彼女の問いに明快に答えなければいけない」なんて思う心が怪しい雲行きを呼ぶのです。 「どこが」はね、透明な言葉なんですよ。 ほら、あの、枕詞みたいなもんです。枕じゃないけど。 「たらちねの母」の「たらちね」みたいなもんですよ。 で、ある一定分野の言語においては高精度*1なtomo-moon翻訳にかけてみると 「私のこと本当に好き?」 になります。 女性がこういう言葉を恋人に投げかけるときは、恋人の態度に「自分は本当に彼に愛されているのか」不安を感じているから。でも、ストレートに上の語を言うとあまりにも押し付けがましすぎ・高圧的・必死だな的に取られそうで何となく言えない。 だから、「どこが」をつけて目くらましするというフィルタをかけるんです。しかし、そのフィルタこそが男性を必要以上に悩ませてしまうものとは皮肉な話です。 ですから
空は青く澄み渡っていた。昭和59年4月8日。グリコ事件の犯人グループが、江崎グリコに現金6000万円を要求してきた取引指定日である。日曜日の午前中。休日は夕刊がないので、ふだんなら阪神支局には、当直明けの記者が1人いるだけである。だが、この日は違った。三々五々、記者が集…
「何でこんなことやってるんだろうなあ。」 もう書くことは決まっている雑務の中の雑務をやりながら思った。 窓口に並ぶ老人、それに応対する同僚、それを見て考える。 こいつらは人生満足しているのかなあって。 昔は、3年前までは、とても輝いていた。 世間的にはとても頭がいいとされる分野で、俺は、とても優秀だった。 同学年ではダントツでナンバー1、テスト前はみんなから頼られた学部時代。 先輩達からは「後輩とは思えない。」、教授達からは「是非とも博士に。」、そう言われ続けた修士時代。 天狗になれた。 それはもう自分は頭がいいと思えたし、他の理系の分野を見て「こいつらのやってることは配管工と同じ。」と見下していたし、まさに大天狗だった。 しかし、井の中の蛙だった。 所詮は地方国立の中の出来事。 その後博士課程で研究室の意向に反る形で、俺はその分野では日本で一番優秀な大学の博士課程に進学した。 何の躊躇も
葉書の整理をしていた。その中に、結婚を知らせる一枚の葉書を見つけた。私は恐々と、その葉書を手にした。そこには平凡な一組の夫婦の写真があった。私は、ずっと、相当永い間、この葉書を正視することが出来なかったのだ。その葉書が来た時に、その二人が結婚することはわかっていたけれども、自分でも思いがけないほどの衝撃を受け目の前が真っ暗になった。 何故衝撃を受けたのか。それは、その夫婦の男の方が好きで、女に嫉妬して、、、、と、いう単純な話とは、ちょっと違う。私は、その女が嫌いだった。憎んでいたと言ってもいい。大嫌いだった。憎んでいることに気付かず、しばらくの間「友達」のフリをしていた時期もあった。 その女は「いい人」で、皆に好かれているように私の目には見えた。いろんなことが、人より「ちょっと駄目」な所も、「ちょっと駄目だけど一生懸命な頑張り屋さん」な所も、「無邪気で純粋」な所も、完璧じゃないからこそ好感
過去日記を閉鎖して一年が立つ。ブログをまた作りたいが、私が書きたい事は危険過ぎる。 炎上必死。 それでも叫びたい。怒号の飛び交うコメント欄を、高見から見下ろしながら。荒らしの一匹や2匹はどうってことないさ。 しかし、過去に個人情報が流出した彼らに、その界隈に別ハンで登場してもまた、文章の癖から私とばれるだろう。彼らの追跡はしつこい。その界隈から姿が消えるまで叩きにかかるだろう。それをどこまでかわせるか? 彼らは悪口で集まった集団。数は多いが、烏合の衆。仲良さそうにしてても、陰では罵りあっている。内ゲバの仲間割れほど醜い物はない。私はそれを高見の見物決め込む。勝手にしやがれ。 もしも、彼らのブログにコメント付けたなら、ここぞとばかりにいっせいに恨みの炎を燃やして叩きにかかるだろう。その追跡をどこまでかわせるか? ところでコテハンは叩きに遭ってから一人前というが本当か? コテハン叩きにも会わな
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