本田透の新書。 ケータイ小説に出てくる高校は、セックスと恋愛のために存在しているかのようである。しかし、おそらくは、こちらこそ彼らが通っている高校の「現実」なのだ。 だからこそ、自意識のある生徒は、ライトノベルのほうを読む。そこには、現実の学校ではない学校が存在するからだ。 P233 ニヒリズムに陥っていることに気づかないままセックスを繰り返し、それが「人間的成長」であり、いずれは「真実の愛」にたどりつけると信じている少女。 ニヒリズムに陥っていることを自覚してしまったがために、空虚な現実の物語を演じることよりも創作の世界に癒しを求め、隣の少女から「キモイ」とか「オタク」とか呼ばれて白眼視される少年」 あと、「終わりなき日常を生きろ」と唱えたリベラル派社会学者を何度も当てこすっているのが興味深い。 散々、円光を賛美しておいて、自分はさっさとお嬢様と結婚する。この、梯子の外し具合が気に入った