9月7日に起きた中国漁船と海上保安庁巡視船との「衝突事件」は、日中間の大きな外交問題に発展しつつある。この間の日中両国政府の動きを詳しく追っていたら、ふと、日中間で厳しい軋轢が生じた小泉純一郎政権時代のことを思い出した。 当時、筆者は在北京・日本大使館で広報を担当していたので、記憶は今も鮮明だ。今回は、誤解や批判を恐れず、こうした個人的体験に基づき、この事件を巡る日中当局間のやりとりを改めて検証してみたい。 日中外交について学んだこと
管内閣が発足した。マスコミ各社の世論調査の結果が出てきているが、いずれも内閣支持率が大幅に上昇し、管内閣発足時の60%に迫っている。(右グラフ FNN産経世論調査) 参議院選での敗北から民主党代表選に至るまでの間、政権として何も成し遂げたわけではないのだから、単に、代表選で「小沢一郎に勝った」という、そのことだけで政権を浮揚させたことになる。 田舎プロレスの興行よろしく、小沢一郎というヒール(悪役)をリングに上がらせたことで、主役(管直人)の人気を挽回させることができたのだから、民主党としては万々歳だろう。あらかじめ計算づくで小沢一郎を代表選に担ぎだしたのであれば、民主党の大衆操作戦略も相当高度になったと褒めてやる所だが、実際は、日本の政治状況が、相変わらず「小沢一郎」という記号を軸としてしか動いていないという、この国の政治の貧困さを改めて露呈させたに過ぎない。 記号としての「小沢一郎」に
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