平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。
![BLOGOS サービス終了のお知らせ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ea13b559ab8a92213578f10c01241372b4e3e3fe/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblogos.com%2Fimg_ogp_blogos.jpg)
「心穏やかに暮らしたいなら他者に期待しないこと」「夫婦円満のためには相手に期待しないこと」てなことが、立派なカウンセラーや先生の言葉として、よく本に書かれている気がします。 何冊かそのような本を読み、言わんとしていることは理解できるようになったつもりなのですが、なんで「期待」という言葉を使うんだろう? と、いつも思います。 だって、何の前提もない状態でいきなり「私はあなたに期待していません」と言われたら、ああどうしようもなく見放されているのだな、と思うでしょう。ネットで「俺は他人に期待しないぜ」とつぶやけばきっと軽く炎上すると思いますが、前後の文脈がないと、単に無頼気取りの勘違いした奴に見えてしまいます。 「期待」の意味するところが広すぎて難しい 「他者に期待しないこと」というのは、要するに、自分のために生きているわけではない他者に対し、自分の中で勝手に「してもらうこと」の期待値を上げては
(注:第二章の部分で事実誤認がありましたので削除し、なぜかについての内容としました。詳細はその部分やこの直後の論考をご参照くださいませ。なお、英独と同じ発言は誤訳ということですが、それが言い訳にならないことも同論考で指摘しております) 年末に、安倍首相は右翼のルーピーとなるという論考、ケネディ大使が駐日大使ならぬ反日大使になるという論考を投稿したが、今、それがイルカ発言や慰安婦問題でのケネディと韓国大使の意気投合等と現実のものとなりつつある。 本稿では、そのトドメとなり、日本が孤立する決定打となってしまった感のある、安倍首相のダボス会議での発言が、何故こんなにも国際社会で取り上げられているのか、何故中国との戦争を決意した危険な指導者と理解されてしまったについて主に論じたい。 1.安倍首相は開戦を決意したと理解された理由:欧米の大学一年生でもわかる理屈 既に石井先生も鋭い御論考をされているが
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く