議論における価値相対主義 日本では意見が対立しても、みんな仲良し和の精神で「どっちもどっち」と無限包容され、全体の中に帰一する。 会議の報告書は両論併記で終わり。 喧嘩をしても「どっちもどっち」で終わる。 価値の比較考量ができてない。 痴漢にあった女性だって、服装がえっちすぎると言われて、原因と責任が混同されて、どっちもどっちの論理で一蹴される。 対立が存在しない。 一方、欧米では対立する意見同士は徹底的に対置される。 お互いが自説の優越性を示すために、論敵の意見を細かく分析して、自分の意見も細かく分析して、意見が洗練化されていくのにともなって論点が明らかになり対立が先鋭化、さらに細かく問題が分解されることで、基礎的な命題群のあいだに等質性ないし共通性が見出されることにより、急激に、両者が牽引されるという、反発と牽引の理論が活性化して意見がまとまることがある。 この違いは、仏教と神道と儒教