ブックマーク / jougetu.hatenablog.com (8)

  • 「どっちもどっち」という相対主義は、仏教と神道のせい - 星の動く音がうるさい

    議論における価値相対主義 日では意見が対立しても、みんな仲良し和の精神で「どっちもどっち」と無限包容され、全体の中に帰一する。 会議の報告書は両論併記で終わり。 喧嘩をしても「どっちもどっち」で終わる。 価値の比較考量ができてない。 痴漢にあった女性だって、服装がえっちすぎると言われて、原因と責任が混同されて、どっちもどっちの論理で一蹴される。 対立が存在しない。 一方、欧米では対立する意見同士は徹底的に対置される。 お互いが自説の優越性を示すために、論敵の意見を細かく分析して、自分の意見も細かく分析して、意見が洗練化されていくのにともなって論点が明らかになり対立が先鋭化、さらに細かく問題が分解されることで、基礎的な命題群のあいだに等質性ないし共通性が見出されることにより、急激に、両者が牽引されるという、反発と牽引の理論が活性化して意見がまとまることがある。 この違いは、仏教と神道と儒教

    「どっちもどっち」という相対主義は、仏教と神道のせい - 星の動く音がうるさい
    papiko8-l
    papiko8-l 2016/05/14
    天照大神の考察、すごいですね。考えさせられました。
  • 恋愛相手は誰でもいいか - 星の動く音がうるさい

    恋愛相手の交換不可能性 好きな人ができたら苦しくなる理由は、相手のことが四六時中、頭にこびりついてくるから。 朝起きたらもう、あの人を考えていて、夜歩いているだけで、どうしてもあの人といっしょにいたくなる。 どうしてもあの人といっしょにいたい、あの人以外には考えられないというのは、対象の取替えがきかないということで、これは言い換えれば、どうでもいい他人だった相手が、誰とも交換不可能な絶対的な相手になってしまったということ。 「どうしても、あの人でないとダメなんだ」という恋愛相手の交換不可能性は、なぜ生じるのか。 鷲田清一によれば、「あなたにずっとそばにいてほしい」と恋愛相手に言われることで、「あなた」というかたちで、自分の輪郭をきちっとまとめてもらえるからである。 つねに人は自分が自分であるという確かな根拠が見当たらないという不安を抱えている。 その不確かな自分の存在が、交換不可能なほどの

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    papiko8-l
    papiko8-l 2016/05/13
    「輪郭」いいですね(^^)要は承認欲求ってこと?何か幼稚な疑問ですみません。。
  • 人生の意味は、2つの場所で与えられる - 星の動く音がうるさい

    家族と社会 1つ目の場所は、他ではないあなたが居てもらわないと困ると、認めてくれる家族や恋人。 2つ目の場所は、自分の仕事を必要としてくれる会社や社会。 つまり、家族と会社によって、人生に意味が出る。 例えば、作家は、自分の書いたものによって喜びを感じてくれる読者がいるから充実感を感じるし、そこで失敗しても、家庭に帰ったら無条件で必要とされるので安心できる。 だから、恋人との関係ではオンリーワンを確保しておいて、仕事ではナンバーファイブくらいを確保しておけば、人生に充実感が出ると大澤真幸が言っていた。 たしかに、家族や恋人とは、いっしょにいるだけで充実感を感じるし、さらには自分を献身することによって、かえって充実感を感じるという、おかしな仕組みになっている。つまり、利用しあう関係ではなくて、無条件に人格を尊重しあう関係になっているので、市場価値のない自分であっても、必要とされる。 そして、

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    papiko8-l 2016/05/12
    なるほど。
  • 最初の一行を捨てること - 星の動く音がうるさい

    最初の一行が書きにくい。 言いたいことが頭の中に数行あるんだけど、最初の一行からそこまで論理的に繋げていくのに時間がかかってしまって、書いては消して、書いては消して、そうやってめんどくさくなって、ブログを書かない日が多くなる。 よしもとばななの『日々のこと』という日記では、最初の一行が気楽すぎる。 「友人結婚した」 「N・Yに行ってきた」 「ある土曜日の午後、私と恋人はどうしてもパスタべたくなった」 短くて、具体的で、日常的。 最初の一行によって、文章の価値が決定されるというのに、彼女はいかにも平明で、単純な一文から始めている。 小学生のころから、たくさん文章を書いてるんだってさ。 気負わずに最初の一行を書くことによって、推進力が生まれる。 私も5月に入ってからは、できるだけ、しょうもない一文で始めたいなと思ってやってきたけど、まだまだ適当さが足りないと思う。 研究だな。 毎日気楽に

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    papiko8-l 2016/05/11
    私も文章を書くのに時間がかかってしまうのですが、考えを文章にするのが楽しいし、ずっと書いていればそのうちちょっとは早くなるかなと思ってます。文頭をカジュアルに書くというのとても参考になりました(^^)
  • 神の存在を証明する4つの方法 - 星の動く音がうるさい

    目的論的証明とは 世界は精巧で美しい。これほど緻密な世界が偶然生まれたとは考えにくい。背後に設計者がいるはずだ、それを神と名づけよう、と自然界の秩序や美しさから神の存在を証明する方法を、目的論的証明という。 例えば、道ばたに一個の時計が落ちている。拾い上げてみれば、その時計の内部では歯車の機構が、時間を表すという唯一つの目的のために、完全に調和して協働している。これほど緻密なものが自然界で偶然生まれるはずがない。誰か設計者がいて、目的をもって、作り出したものだろう、と設計者の存在に思い及ぶのが当然。 というか、この世界全体がそう。生物が存在するには、太陽、地球、重力、あらゆる要素が完全に調和しなければならないが、これほど緻密なものが偶然生まれるはずがない。これが偶然現れたということであれば、あまりに幸運すぎる。神が目的をもって作り出したに違いない。 目的論的証明への反論・否定 我々は、時計

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    papiko8-l 2016/05/10
    地球が太陽に飲み込まれる前に、宇宙を創ったクリエイターを発見することができるだろうか…
  • 社会運動のリーダーは、死ぬべきか - 星の動く音がうるさい

    リーダーの継続性 社会運動の質を決定するのは、終始一貫したリーダーの存在である。 運動の退潮局面においても、それを見捨てずに引き受ける覚悟のあるリーダーがいる社会運動は、そのようなオーラを前倒しで帯びている。 夕暮れどきに、ある全共闘運動のリーダーが最後の看板を背負って、大学の並木道を歩いている様子を見てそう感じたと内田樹が言っていた。十字架を背負うキリストに重なるところがある。 つまり、ていねいに後片付けをする「弔い」の仕事を果たすことによって、その社会運動に完結性が与えられて、首尾一貫した思想的事件としての価値が決定されるということ。 しかし、弔うといっても、リーダーにとっては、その社会運動ができるだけ長く持続していくことに越したことはないだろう。 かといって完結性が与えられなければ、ただの祝祭的な一時現象であって、歴史の泡沫に過ぎない。 その矛盾をどうしても乗り越えようとすれば、死ぬ

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    papiko8-l 2016/05/09
    乗月さんなら立派なリーダーになれると思うのですが…!
  • 美は余剰か - 星の動く音がうるさい

    美は内部にある あくせく働いて、いろいろ失敗して、たくさん叱られて、くたくたになって会社から帰っているのに、顔を上げてみれば、地平線の向こうでは夕焼けが爆発して、いたずらに色彩を濫費してるとき、私の理性を無視して、強制的に美が与えられる。 疲れてるのに、美しいなって感じちゃう。 雲が紫に染まって、赤が太陽に統括されて、ふざけてるくらい、色が無駄づかいされて、しかも迅速に消えること。 無意味に、おしみなく美が与えられることで、今日の瑣事が無効になる。 私のような対極の存在に与えられるほどの、大きな美があふれていて、自然自体にとっては一個の余剰である。 そこでは自然に美自体が実在するのではない。 美は、自然から弾き出されて、余ってる。 弾き出された美は、どこにあるのかといえば、私の心の中にあるとしか言えない。 心の中にあるのなら、人それぞれ違うものになるけど、現に、それぞれが好きなように美を感

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    papiko8-l 2016/05/08
    いつも美しい日本語で心が洗われます!
  • シュレディンガーの猫が、コペンハーゲン解釈されるとして、マクロとミクロの境界はどこ - 星の動く音がうるさい

    頭がポンコツのせいで、何年も前からシュレディンガーのについて何回も調べてるのに、いまいちピンと来なかった。問題の意味自体がわからなかった。 今の結論としては、シュレディンガーのの思考実験は、箱の中に、放射線検出器をいっしょに置いた時点で、すでに実験として成り立ってない。 多くの科学者が採用するコペンハーゲン解釈によれば、マクロな物体である放射線検出器が、ラジウム原子核から飛び出してきたアルファ粒子の位置を特定した段階で、原子核の波の収束が起きて、共存状態が崩れる、と考えることが出来る。シュレディンガーのの思考実験は、観測されるまで起きるとされている原子の可能性の共存状態、つまり、原子核の崩壊と非崩壊の重なった共存状態を、の生死の重なった共存状態に連動させようとする思考実験なのに、すでに始めの時点で重なりの状態が解かれてるので意味がない。 マクロな物体があることで、観測されてしまって

    シュレディンガーの猫が、コペンハーゲン解釈されるとして、マクロとミクロの境界はどこ - 星の動く音がうるさい
    papiko8-l
    papiko8-l 2016/05/07
    シュレディンガーの猫、自分なりに理解してると思ってたけど、こんな深い考察もあったんだ!
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