反核とか(『ヒロシマ・ノート』)戦後民主主義とか(『同時代としての戦後』)、あるいは障碍を持つお子さん(のちの作曲家・大江光)との生活とか(『恢復する家族』)、あるいは若いころ『セヴンティーン』(『性的人間』所収)の第2部『政治少年死す』を書いて右翼団体に脅迫され、のちには義兄・伊丹十三が『ミンボーの女』を監督して暴力団員に襲撃された経験とか(『暴力に逆らって書く』)、そういった生きかたの部分で人気のある作家だとは思う。 けれど、私にとってはやっぱり、「おもしろい小説を書く作家」なのだ。 もちろん私だって、前述の反核とか戦後民主主義とか息子さんとか筆禍とか、そのへんの事情を知っているし、知っているからの「おもしろさ」だと思う。前回書いたとおり、「作品」と「作者の人生」とをきっちり分けることは不可能だ。 大江作品は「私小説」と呼ばれることがあまりないけれど、自分の人生を反映させているのだから