キューバ危機でソ連とアメリカの対立が最高潮に達したとき、世界は、核による「黙示録」の瀬戸際に立たされていた。そして、ニキータ・フルシチョフとジョン・F・ケネディの人間性、そして妥協を厭わない姿勢だけが平和的解決を可能にした。 フルシチョフとケネディが初めて直接会ったのは、1961年6月4日に行われた「ウィーン・サミット」だ。これは、米ソ関係史上、惨憺たる失敗に終わった会談の一つだ。首脳会談前、フルシチョフの顧問らは彼に対し、ケネディ兄弟を、意志薄弱な「短パンをはいた少年」にすぎず、言葉で簡単にやっつけられる、と評した。一方、ケネディの側近たちもまた、全員が熱烈な反共主義者だったこともあり、交渉に向けて大統領に前向きな戦術を提案することができなかった。 対立する二つの陣営の指導者は、イデオロギーと世界の運命について、抽象的な論争をかなり熱く、長々と繰り広げたが、具体的な議論には至らなかった。