旧ソ連機の代名詞ともいえるミグ社と、同社のライバルで現行主力機メーカーであるスホーイ社の2019年内合併が発表されました。両社はこれまで、どのような歴史を歩んできたのでしょうか。 ロシア戦闘機メーカーを代表する2社が合併へ 2017年6月20日(火)、ロシアの各航空機メーカーを傘下に有する国策企業「ユナイテッドエアクラフトコーポレーション(UAC)」のユーリ・スリウザー社長は、同国の戦闘機メーカーを代表する「ミグ(MiG)」と「スホーイ(Sukhoi)」の両社をUACの下で2019年内に合併・統合することを発表しました。 手前がミグ MiG-29、奥がスホーイSu-27。どちらも同じ中央設計局の一部署としての時代に開発されたため、大きさがひと回り違う以外はそっくりである(関 賢太郎撮影)。 ミグ、スホーイ両社ともに創設は1930年代であり、ソ連時代は航空工業省における航空機開発部門、中央設
安倍総理は国会で盛んに「政治主導で岩盤規制を打破する」と主張されている。しかし、国家戦略特区の設置と加計学園への特権的な認可は政治主導とは呼べない。 一体、政治主導とはなんなのだろうか。その歴史から、真の政治主導の実現を考える。 政治主導の歴史 橋本・小泉の時代 小沢の目指した政治主導 新党ブームとその残骸 内閣人事局の設置 真の政治主導に向けて 良い政治主導とは? 加計学園をめぐる問題 加計学園問題は「政治主導」なのか? 政治主導の歴史 橋本・小泉の時代 政治主導自体は決して悪いことではない。官僚支配が叫ばれる日本の中で、政治家は様々な形で政治主導をアピールしてきた。 近年で言うと、橋本龍太郎首相が大蔵省を解体して財務省と金融庁に分けた「省庁再編」や、小泉純一郎首相による経済財政諮問会議の設置と拡大、あるいは郵政民営化なども政治主導の一例だろう。 省庁の利益よりも政治家のビジョンを優先さ
デヴィッド・ボウイの恐るべき先見性。1999年に語ったインターネットの未来2017.01.29 18:0416,759 Shun 驚くべきデヴィッド・ボウイの先見性。インターネット黎明期に彼はすでにその未来を的確に思い描いていました。 1999年のBBCのインタビューで、インターネットの未来について故デヴィッド・ボウイが語っています。 当時ボウイにとってインターネットは非常に興味を引くものであったようで、「もし1990年代に育っていたら、音楽よりもインターネットに夢中になり、ポップスターにはなっていなかっただろう」と答えています。なぜならかつてロックンロールがそうであったように、当時のインターネットは最も混沌とし、虚無主義的で、反抗的な場所であり、可能性を秘めているものであるとボウイは感じ取っていたのです。そしてインターネットが持つその可能性について熱く語っています。 しかしインタビュアー
人類は千年も昔からお酒を飲み続けてきた。一部の人類学者たちは、酒は狩猟から農耕に生活様式がシフトした原因のひとつであると考えている。 お酒は社会における潤滑剤、薬、または政治的手段などさまざまな目的に使われ続けている。タバコや薬物の規制が進んでも、お酒がいまだ容認されているのは、そういった一面があるのかもしれない。
世界で最も広く使われている暦は「西暦」が使われていますが、1993年に提唱された新しい考え方の暦に「人類紀元(Human Era)」というものがあります。西暦に10000年を加えて「紀元前」の考え方をなくすという年の数え方となっており、従来の曜日や月などはそのまま使えるという特徴を持っているのですが、Kurzgesagtが「なぜ『人類紀元』を採用する必要があるのか」ということをイラスト付きで説明したムービーを公開しています。 A New History for Humanity – The Human Era - YouTube 人類は初めて地球を支配した存在で、最初は狩猟民族として動物を狩って生活を立てていました。 人類はやがて農業を行うようになり…… 現代になると、昔では考えられなかった数々の文明の利器が発明されました。 イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年とする「西暦」も
いきなりスミマセンみなさん、関ケ原は好きですか?ぼくは大好きです。 豊臣秀吉没後から関ヶ原合戦前までの徳川家康の神がかり的な政治・謀略によって関ヶ原合戦は徳川方(東軍)が勝利をおさめました。 By 狩野探幽 - 大阪城天守閣, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9558314 その家康の動きはかなり面白いのですが、関ヶ原から家康が豊臣家を滅ぼすまで(いわゆる大坂の陣)の家康の政治的な動きもかなり面白いので、この間のことを家康視点で書いてみます。 関ヶ原合戦後~大坂の陣まで 関ヶ原勝利! 1600年9月15日、家康は東軍を率いて関ヶ原にて石田三成の西軍に勝利を収めました。 しかし、この戦いはあくまでも豊臣家の家臣同士の争い(家康が豊臣秀頼の名を受けて逆臣を討つという名目がありました)であり、そのまま一気に家
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