2014年6月11日のブックマーク (5件)

  • 「結婚以外に同性カップル用の法的制度を作ればいいじゃん」←それ、結局うまくいかなかったって知ってる? - みやきち日記

    2014年6月5日、日で初めて同性同士のカップルが婚姻届を出し、不受理となるというニュースがありました。 青森の女性カップルが婚姻届、市は憲法根拠に不受理 (Web東奥) - Yahoo!ニュース 同性婚と憲法の関係 - 木村草太の力戦憲法 これらの記事を読まれた方の中に、「同性愛者向けに、結婚と同じ効力がある制度を新たに作ればいい」という趣旨のことを簡単に言っちゃう人が見受けられるのがちょっと気になりました。同じ発想で導入されたシビルユニオンやドメスティックパートナー制度などが、結局、 実効性がなかった(謳い文句とは違い、法的な不公平は改善されなかった) マジョリティと違う制度を作ってあてがうこと自体、「分離すれども平等」(separate but equal)という人種差別と同じ ……などの点からうまくいかなかったという事実は無視? うまくいかなかったからこそ、一旦こうした制度を導入

    「結婚以外に同性カップル用の法的制度を作ればいいじゃん」←それ、結局うまくいかなかったって知ってる? - みやきち日記
    passata_nero
    passata_nero 2014/06/11
    「トモダチコレクション騒動」の時も思ったけど, 同性が結婚可能なシステムとは新しく同等のシステムを構築するんじゃなくて, 届を受理する際の性別チェックを止めるって事でしょう? 管理する側は手間減るんですよね?
  • 短距離走ならそこそこ走れるが、長距離走になるとダメダメになるコミュ障的なアレ - 鉄板日記[ ˶˙ᴗ˙˶ ]

    コミュ障にも幾つかバージョンがあるとか、上手く心が開けないとかそんな話 似たような感じの人種だと思うんですけ、ど。 ただし、もうほぼ悩んでいないというか、自分から積極的に(?)深い仲になるイベントを回避する癖が付いちゃってますね。 たとえば、仕事の飲み会。 飲み会なんて別に出てもいいんですよ。 そりゃ家早く帰ってゴロゴロしてぇなーとかは思いますけど。 飲み会の何が怖いって、アレ基的に親密度高くするために行われるものだからね。 仕事やってる間だけ仲良くするっていうなら、別に構わないんですけど、というかむしろ仕事円滑に進むと思うんで願ったりなんですが。 問題は休日とかまで関わってくる間柄になるってことで、それが一番怖い。 平日イヤってほど関わってるんだから、休日ぐらい家で一人でのんびりさせてくれよと。 よく「休日は友人と遊んでリフレッシュしました」とか言う人いるけど、あれもよくわからない。

    短距離走ならそこそこ走れるが、長距離走になるとダメダメになるコミュ障的なアレ - 鉄板日記[ ˶˙ᴗ˙˶ ]
  • コミュ障にも幾つかバージョンがあるとか、上手く心が開けないとかそんな話 - はてなブログを毎日書いていたら10Kg痩せました!

    最近、コミュ障にも色々タイプが有るよなーと思っている。 巷で言う「いわゆるコミュ障」な人の多くは、「初対面が苦手」とか「人とうまく話せない」とか、そういう対人スキルの少ない人。 ところがこういう人たちは第一ゲートは若干高いんだけど、そこさえ上手く突破できるとスッと心を許して仲良くなる人たちが多く、よく遊んだりする友達が少数だけれどもいたりすることが多い。 逆に、第一ゲートは低い、つまり初対面の人などとは馬鹿話をゲハゲハできたり、大勢人のいる場所でもそこそこ気後れしないで過ごせたりするのだけど「人と長期にわたって信頼関係を築いていくのが苦手な」コミュ障というのがいる気がしている。というかこれは僕の話なんだけど。 昔「君は当に人に心を開かないよね。人を信じないよね」と指摘されたことがあって。 その時は結構自分では色々な人とコミュニケーション上手く取れていると思ってたんだけど、よくよく考えてみ

    コミュ障にも幾つかバージョンがあるとか、上手く心が開けないとかそんな話 - はてなブログを毎日書いていたら10Kg痩せました!
    passata_nero
    passata_nero 2014/06/11
    「細く長い付き合い」とかの枠組みで考えれば楽になるんじゃないでしょうか. /私もたぶん同じだけど, 超長期的な関係の維持に長けていると勝手に自負しています. エビデンス? 無いよ? (きっぱり).
  • 注文の多い料理店―院生編|Colorless Green Ideas

    キャンパスの外れをさまよっていた院生が見つけた研究室。そこには「当研究室は貢献の多い研究室ですからどうかそこはご承知ください」という文言。この研究室は一体? 文 二人の若い院生が、いっぱしの研究者きどりで、キャンパスの奥深くの、人気の少ないとこを、こんなことをいいながら、あるいておりました。 「ぜんたい、ここらの研究室はけしからんね。研究費もろくにもってやしない。なんでも構わないから、金の心配なしに、実験をやってみたいもんだなあ。」 「実験に使ったマウスをガスバーナーで焼いて、大学生協で買ってきた焼き肉のタレをつけてべたら、ずいぶん痛快だろうねえ。かりかりと焼けて、それからぐいっとビールを飲めるだろうねえ。」 それはキャンパスのだいぶ奥でした。案内してきた万年助手も、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの奥でした。 風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木は

  • http://twitter.com/awara_snt/status/475975619432288258

    passata_nero
    passata_nero 2014/06/11
    「良さ」は主観的で多様であり, ともすれば「受け入れられた表現が良い表現」というトートロジー以上の意味を持ってない. 又表現の良悪は主張の受け入れの絶対要因でもない (もし絶対ならいじめで自殺する人はいない).