2014年6月23日のブックマーク (2件)

  • 非定型当事者に任せれば良い

    定型発達は「この世に非定型発達はいない」と思っているし、 ずっと勘違いしたままでいたいのが音だと思う。 考える機会があっても理解したくはないと思う。 今まで「これが正しい」と思ってた考え方が通用しないケースを 想定しなければならない面倒臭さは半端ないと思う。 しかも定型発達側へのメリットがあまりアピール出来る事がない。 非定型発達者が迎合して定型発達者のフリをすると、 バレない間は定型発達者はすぐ受け入れる。 やはり当の事に気付くよりも、楽な勘違いしていたいのが人間か。 しかし非定型発達者が定型発達者のフリをするとストレスが溜まる。 言わば「左利きなのに右手で作業するようなもの」だから。 「非定型発達者に定型発達者のルールを押し付けて誰得なのか?」と思うのだが、 それが何故上手くいかないのか、定型社会は把握出来ていない。 社会のルールは「非定型発達者」という存在を端から想定していない。

    passata_nero
    passata_nero 2014/06/23
    書かれている生きづらさが性的少数者 (等) に置き換えても驚くほど違和感のない内容... /適材適所は segregation の危険性を常に内包すると思う, けど.
  • トランスジェンダー追悼イベントの不愉快 - macska dot org

    11月20日、ポートランドステート大学においてヘイト・クライム(人種やセクシュアリティなど被害者の属する社会集団への憎悪によって動機づけられた犯罪)によって殺害されたトランスジェンダーの人たちを追悼するイベントに参加。このイベントは毎年各地で同じ日に行なわれている。実際、毎年恒例にしなければいけないほど、米国内だけでも月に1件に近いペースでこうした犯罪は報道されているーー報道されていないものも多数起きていると思われる。 まず最初は、今年一年間で犠牲となったトランスジェンダーの人たちの名前と経歴が読み上げられる。親近感を持たせるためか「わたしの名前は〜です…こういう経緯で殺されました」みたいなセリフとして読み上げられるのだけれど、とても不自然。殺された人が自分のことをどう表現していたのか親しかった人などから話を聞いて再構成したのなら良いけれども、ちょっとそうとは思えない。というのも、被害者の

    トランスジェンダー追悼イベントの不愉快 - macska dot org