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日本語に関するpeachpearのブックマーク (2)

  • 12月3日を「日本語が死んだ日」に

    「桜を見る会」の名簿データが消去された話を聞いて、私は、一も二もなく 「データの一滴は血の一滴」 という言葉を思い浮かべた。 で、早速そのフレーズをタイプした勢いで原稿を書き始めた次第なのだが、冒頭の10ラインほどに到達したところで、 「ん? なんだかこのテキストは、むかし書いたおぼえがあるぞ」 ということに思い当たった。 原稿執筆中にデジャブに襲われるのは、実のところ、そんなに珍しいなりゆきではない。 たとえば、武者小路実篤先生の晩年の作品には、同じフレーズや描写が、かなりの頻度で登場する。 武者小路先生ご自身が、自分でわかっていて自己模倣をやらかしていたのか、それとも無意識のうちに同じ文章を繰り返し書く症状を獲得するに至っていたのかは、いまとなっては誰にもわからない。 ともあれ、ある程度年齢の行った書き手は、いつしか、昔書いたのと同じ文章を書いている自分自身に遭遇することになっている。

    12月3日を「日本語が死んだ日」に
  • ネットに広がる「正しい」日本語 - アスペ日記

    ネットで日語を観察していると、「正しさ」を求めて知恵袋などで質問する人がいます*1。 「ラジオを『つける』というのはどう書くのが正しいの?」 「『分かる』『解る』『判る』はどう使い分けるのが正しいの?」 一方で、ネットではいろいろな「正しさ」の主張も目にします。「訊く」や「目をみはる」については、これまでここで扱いました。 「正しさ」の主張としてよくあるのは、「来はこう書くのが正しいが、当用・常用漢字によってそれがゆがめられた」というものです。 ただ、そういう人が思う、ゆがめられる前の「正しい」日語というのは、実は昔から「スタイル」のひとつにすぎないということが多いのです。 以前記事にした「訊く」はその典型ですが、今回は 失(な)くす*2 点(つ)く・点(つ)ける 保(も)つ の三つを取り上げます。 この三つに共通するのは、「これまで平仮名で書かれることが一般的だった」ということです

    ネットに広がる「正しい」日本語 - アスペ日記
    peachpear
    peachpear 2013/02/03
    なるほどねって思った。良記事。
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