西部劇で、お産が始まるというと、必ずと言っていいくらい、「お湯を沸かせ!」というせりふが飛び出しますね。これがなぜなのか、アメリカ人にもよくわからないと言います。 日本でも、昔の出産の場面では、産婆さんでしょうか、「お湯を沸かして!」と命じ、この役割を引き受けていたのが、お産の部屋に入れない父親というような設定になっていたと思います。 私たちは、お産でお湯というと、何となく赤ちゃんの沐浴に結びつけて考えてしまいますが、少なくとも、アメリカでは、西部劇時代はもちろん現在でも、例えば生後一ヵ月とか、基本的には体を拭くだけのスポンジバスを行なって、お湯に入れないことのほうが一般的です(日本でも、最近は、初日は沐浴しないようになりました)。 しかも、お湯を沸かすことが、何にも増して緊急性を帯びるということを考えると、お産そのものに関連する何かがないと合点が行きませんね。 それでは、お産でお湯を沸か