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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (145)

  • 子育てスキルを身につける機会がどこにもない - シロクマの屑籠

    児童虐待やネグレクトをはじめ、現代の子育てが大変なことになっているという話はよく聞く。そんななか、「子育てをどのように支援していくべきか」みたいな議論をあっちこっちで見かけるわけだけど、どちらかといえば生んだ後のサポートにフォーカスがあてられているみたいで、生む前の準備というか、生む前の体験の有無みたいなものを気にする人は少ないようにみえる。 確かに、生んだ後の社会的・経済的サポートが重要には違いないし、今、親をやっている人達にとって大切なのはそっちだ。けれども、これから親になっていく人達のことを考えるなら、生む前に子育てスキルを何処でどれだけ身につけるか、という視点も大事なんじゃないかろうか、と常々思う。 子どもに触ったことも無いのに、子育てできるほうがおかしいんじゃね? 多くの人は、「子どもが生まれたら、親は父や母として振舞えて当然。」と思い込んでいるかもしれない。でも実際の人間はそん

    子育てスキルを身につける機会がどこにもない - シロクマの屑籠
    peppers_white
    peppers_white 2010/08/18
    あれか、子供スキーの出番か(違う)/年の離れた弟や甥や姪の世話してる人って意外といるのね
  • 褒められ慣れていない人の悲劇

    よく“褒めるのは難しい”といいますが、実は“褒められるのもけっこう難しい”っていう話。 上司に評価された時。 誰かに好きだと言われた時。 ありがとうと言って貰えた時。 「べっ別に、あ、あんたなんかに評価されたくて、やったんじゃないんだからね!」 と自己弁解したくなってしまう人や、黙って俯いて赤くなっている人って、巷にも案外いるんですよ。なんというか、褒められたら情緒的にパニクってしまったり、いたたまれなくなってしまう人。 これがアニメに出てくるキャラクターなら、かわいいツンデレですねで済む話ですが、現実の人間の場合、褒められるたびにパニクっているようでは大きなハンディになってしまいます。褒められてもモチベーションが確保できないどころか、やがて、褒められるのを避けるべく屈折したパーソナリティを身につけてしまうかもしれません。 「褒められたら、褒められた分だけモチベーションが得られる」ってやつ

    褒められ慣れていない人の悲劇
  • 黒歴史がアーカイブになってしまう時代 - シロクマの屑籠

    歴史TLと、リプライたち。~月光蝶~ - Togetterまとめ 誰にだって、思い出すだけで身悶えしたくなるような“黒歴史”のひとつやふたつ、あるに違いない。中ニ病まるだしのポエム・奇天烈なファッション・世間知らずの大言壮語 etc……。けれども、そういった痛々しさを経験していればこそ中二病をこじらせない大人に成長できるわけで、中二病はイマドキの思春期の発達に必要なプロセスのように見える。 ただし中二病の発露は、悶絶してしまうような“黒歴史”が残ってしまう、という副作用を伴っている。幸い、中学や高校時代の痛々しい“黒歴史”は、当時の仲間内や大学ノートに封印されて、日頃のコミュニケーションのなかに這い出してくることは滅多に無かった。世間を騒がせるような事件を起こして卒業アルバムをマスコミに漁られるとかでない限り、“黒歴史”はパーソナルな胸の痛み以上の意味を持ち得ないはずだった。 “黒歴史

    黒歴史がアーカイブになってしまう時代 - シロクマの屑籠
  • “寂しい日本のインターネット”は残念か - シロクマの屑籠

    これまで、さまざまな個人向けのネットメディアが興ってきました。 90年代にBBSやホームページから始まり、2chが登場し、その後はSNSblogやtwitterなどへと主流が移り変わりつつあります。こうしたネットメディアの移り変わりと「寂しさ」についてちょっと考えてみます。 どのネットメディアを使うかは、寂しさ次第 ある個人が、どのネットメディアを使うのか? どこのネットメディアに腰を落ち着けるのか? 結論から言うと、これは、寂しさの募らない・寂しさ体感度の少ないネットメディアに落ち着くほか無いと思うんです。どういうネットメディアを使うにせよ、ちょっといじってみて寂しいと感じるなら、長続きせずにすぐにやめてしまう……そういう繰り返しのなかで、その人にとって寂しさ体感度の一番少ないネットメディアが自然と選ばれる、というわけです。 例えば皆さんは、1ヶ月で死んでいくblogの一生を見たことは

    “寂しい日本のインターネット”は残念か - シロクマの屑籠
  • はやぶさ神社つくろうぜ――宇宙からの“御神体”を拝んだ人達 - シロクマの屑籠

    は、八百万の国だという。 森羅万象に神を見出す日人が、宇宙からの贈り物に神を見出すのは当然の反応である。全国には、隕石を御神体とした神社が存在する。例えば関西の妙見山や、名古屋の星宮社のように。 このたび小惑星イトカワから帰還した、はやぶさなる“御神体”が、そのような崇拝対象と同等にまなざされることに不思議は無い。 彼らにとってのはやぶさは、科学ではなく崇拝対象 Togetter - まとめ「なぜマスゴミは「はやぶさ」の快挙を伝えないの?ネット民大勝利!!みたいなの」 ここに、はやぶさを拝んだ人達の記録が残っている。 科学的で慎重な立場の人が見れば、眉をしかめるような吹き上がりっぷりに、ブックマーク上では非難と嘲笑が集中した。 確かに、彼らのフィーバーは軽率きわまりなく、「崇拝するな科学しろ」と言いたくもなるだろう。しかし、はやぶさは科学の結晶であると同時に、輝く流星となって宇宙から

    はやぶさ神社つくろうぜ――宇宙からの“御神体”を拝んだ人達 - シロクマの屑籠
  • 「ちゃんと学生時代に遊んでた?」 - シロクマの屑籠

    大学生だった頃、年長者から「大学で、ちゃんと遊んでるか?」とよく質問された。 建前からすれば、大学は勉強をしに行くところのはず。だから親族や一部の教官までもが「大学で、ちゃんと遊んでいるか?」と聞いてくることに、当時の私は二律背反めいた印象を受けたように記憶している。 幸か不幸か、私は好奇心の対象が散らばりやすい性質だったらしく、授業よりも同年代の仲間達とのレクリエーションやオタク趣味などにエネルギーを費やす大学時代を過ごした。無駄だらけの、あまり利口な学生ではなかったけれど、社会の色んな人と出会ったり、趣味や可能性を探って回ったり出来たのは幸運なことだったと思う。卒後しばらく経って、大人達が言っていた「遊んで来い」ってのは、「授業の外側で、世間知・仲間とのやりとり・共同作業のノウハウを身につけて来い」って意味だったのかな、と思うようになった。 遊びから学ばなければ、身につかないこともある

    「ちゃんと学生時代に遊んでた?」 - シロクマの屑籠
  • 二次元キャラに初恋した人は幻想を砕いてもらえるのか----『秒速5センチメートル』問題 - シロクマの屑籠

    秒速5センチメートル [Blu-ray] 出版社/メーカー: コミックス・ウェーブ・フィルム発売日: 2008/04/18メディア: Blu-ray購入: 11人 クリック: 679回この商品を含むブログ (162件) を見る 二次元の美少女キャラクターに初恋しちゃった人って、どうなっちゃうんだろう?結構難しくありませんか?というのが今回のエントリの主旨です。 初恋は、異性への思い込み・幻想から醒めるたいせつな機会 第二次性徴を迎えて間もなく、初恋って、あるじゃないですか。これが例えばクラスメートの女子とかが対象だったら、仮に恋仲になれたとしても、進学したら距離が離れていくだとか、喧嘩したり幻滅したりして…とにかく、夢から醒めていく機会が幾らでもあります。片思いで終わった場合も、好きだった女子に二年ぶりに会ったらケバい化粧をしていて幻想が一発で吹っ飛んだとか、いずれにしても、初恋特有の思い

    二次元キャラに初恋した人は幻想を砕いてもらえるのか----『秒速5センチメートル』問題 - シロクマの屑籠
    peppers_white
    peppers_white 2010/06/01
    霊夢が面食いだとかそういう物か
  • 「意味」と勤勉/「意味」とストレス耐性 - シロクマの屑籠

    仕事をしている人は勤勉で、仕事をしていない人は怠け者。」 「仕事を頑張っている人は意志が強い。仕事を頑張れない人は意志が弱い。」 こういう物の見方は、ある瞬間は確かにその通りかもしれない。けれども、これほどあてにならない、状況次第で移ろいやすい人物把握の仕方もない。 例えば、ある中国人男性が、アフリカの山奥で、埃にまみれて一生懸命に働いている。人は彼を、勤勉だ、意志が強い、頑張っている、と呼ぶだろう。しかし彼は、つねに仕事に豊かな意味を見出せる立場にあるのかもしれない。立身出世のため・母国との一体感のため・家族のため・豊かな生活のため etc…。そういった意味が無くなった状況下でも、彼は同じように働き続けることが出来るだろうか。 逆に、ある日人男性が、まずまずな企業に就職したのに不満が募って辞めてしまい、クーラーの効いた部屋でネットゲームに耽溺している。人は彼を、怠惰だ、意志が弱い、頑

    「意味」と勤勉/「意味」とストレス耐性 - シロクマの屑籠
  • 「歳の取り方」が分からなくなった社会 - シロクマの屑籠

    テレビをつけても、街を歩いても、「若さを保つためのテクニック」が溢れている。けれども「歳の取り方」はあまり目にすることが無いし、「歳を取る」ということを肯定的に教えてくれる人にもなかなか出会わない。「歳の取り方」は、いつ、どこで、誰から教わればいいのか?そう考えた時、自分が即座に答えられないことに気付く。 「歳の取り方」のロールモデルは何処へ? ここでいう「歳の取り方」というのは、生物学的な加齢現象のことではなく、心理・社会的な意味での「歳の取り方」だ。 人間は、まっすぐ一様に老けていくわけではない。社会経験や立場、人間関係のなかで、心の持ちようや振る舞いを年代ごとに変えていく生き物だ。世話される立場から世話する立場へ・教わる立場から教える立場へ……といったように、自分の立場をギアチェンジしながら世代を紡いでいく。少なくとも、かつてはそうだった筈だ。 ところが、今は、「歳の取り方」のお手

    「歳の取り方」が分からなくなった社会 - シロクマの屑籠
    peppers_white
    peppers_white 2010/05/20
    歳取った腐った人を見る度に歳とるのは糞食らえと思ってる。好きなように歳取らせろと/むしろ歳を取らない手段がさらに増えないものか、物理的な意味で。
  • 現実よりも夢だけ見ていたい父親/母親、という戦慄 - シロクマの屑籠

    夢を見ることは、そんなに悪いことじゃない。 誰しも、夢や願望を一切含まない、生の現実だけを見ているわけじゃないだろうし、その夢や願望と現実との間に多少のギャップがあってもおかしくない。しかし、夢と現実とのギャップが極端に大きくなりすぎれば問題が起こってくる。それは、政治でもビジネスでも子育てでも同じだろう。 ところが最近、友人知人から「夢や願望と、現実とのギャップがメチャクチャな父兄に遭遇してビビる!」「夢の世界に生きているとしか思えない父兄に出会う!」という話を耳にする機会が増えてきた。耳にする機会が増えてきたのは、単に私の友人知人が子育てをはじめたせいだろうが、あちこちの話から察するに、そういった夢見る父兄とは結構な頻度で遭遇するらしい。PTAや地区の会合などの場で、最低一人、多い時には数人ぐらい、とてつもない夢を素で語ってしまって、しかもそのことに全く気付いていなさそうな父兄に遭遇す

    現実よりも夢だけ見ていたい父親/母親、という戦慄 - シロクマの屑籠
  • 最新情報をガブ呑みしていないと夢が萎んでしまう人達 - シロクマの屑籠

    あちこちで、以下のように主張している人をほとんど定期的にみかける。 「地方には最新情報が何にもない」 「CDを買いに行っても何も無い」 「だから地方には夢がない」 よくよく噛みしめれば、面白い話である。これは、働く場所が無いがために“地方に夢がない”と言っている人達とは、話のニュアンスがかなり違う。こういう人達は“地方には夢が無い”と言いつつも、ほとんど無意識のうちに以下のように言っているようなものである。 「首都圏には最新情報があって」 「オシャレなCDを売っていて」 「だから首都圏には夢がある」 最新情報に囲まれてオシャレなCDを購入していなければ、夢って、みれないものなんだろうか?? 首都圏で、優越感や疾走感に包まれないと干からびちゃう人達 世の中には、東京に出て、最新の情報をガブ呑みして、オシャレな音楽にうっとりしなければ夢が急速に萎んでしまう人もいれば、人口5万人ぐらいの街のJA

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  • 尊敬の世代間継承断絶――老人を尊敬できない時代は誰にとって不幸か - シロクマの屑籠

    こないだ、大学病院の資料庫でパーソナリティ障害(人格障害)の調べ物をしていたら、勤め先のY先生の1990年代の論文が出てきた。論文は該当分野の先駆け的なもので、インパクトファクターも抜群、びっくりするほど良い仕事だった。 翌日、ふだんはウイスキーとヨーロッパ史以外には寡黙な、初老のY先生にこのことを話すと、「いやーそれほどでもないですよ」と謙遜しつつも満更ではない御様子。この出来事を機に、Y先生への尊敬を新たにしたのだった。 最近、老人が若者に尊敬されない風潮を嘆く声をよく見かける。 けれどもそれだけでなく、逆に若者が老人を尊敬したくてもできない時代になってしまった、というのも嘆くに値することじゃないだろうか。かつて私は、『老人が尊敬される時代は終わった』という文章を書いたことがあった。しかし最近、老人が尊敬されないということだけが問題ではなく、若い世代が年長世代や老人を尊敬するチャンスが

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  • 男性性欲を浄化する、美少女キャラへの自己投影 - シロクマの屑籠

    最近じゃ、自分自身の性欲に汚らわしさや否定的なイメージを持っている男性って、珍しくもなんともないようにみえますし、男性オタクも例外ではないように思えます。 こういうネガティブな性意識を持った男性オタクでも、美少女キャラや“男の娘”に自己投影すればセーフティに快楽が得られ、しかも自己投影しているうちは汚らわしい自分の性欲も浄化できるんじゃないか、っていうのがこの話です。 自分自身の男性性欲に汚らわしさや劣等感を感じている男性オタクにとって、「直視しがたい自分自身の性欲と童貞」を「かわいい美少女のアンアンと処女」に転換できるアイテムって、使い勝手がいいと思いませんか? 男性性欲を肯定できない男性オタクの、葛藤 古くから、かなりの割合の男性オタクは、美少女キャラを性的欲求を充たすツールとして消費してきました。けれどもその多くは、美少女キャラへの自己投影などという回りくどいものではなく、きわめてス

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  • 欲しがるオタクから欲しがられたいオタクへ----オタクの欲望トレンド今昔 - シロクマの屑籠

    かつて、「オタクの欲望」というと、好きな対象をまなざしたいとか、好きな対象を手に入れたいとか、そういうのが中心だったと思うし、事実、オタクは色んなものを愛玩したり収集したりして欲望を充たしていた。 しかし、最近はそれだけでなく、愛玩されたいとか、欲しがられたいとか、そういう欲望も強まってきているような気がする。 欲しがるオタクから、欲しがられたいオタクへ。 または、 かわいがりたいオタクから、かわいがられたいオタクへ まなざしたいオタクからまなざされたいオタクへ という風な。 「欲しくなる美少女」から「自己投影したくなる美少女」へ オタク界隈の美少女キャラクター達をみていると、特にそれが感じられる。 十年ぐらい前を思い出してみよう。 幼なじみ、病弱、メイドロボ、幼女 etc……。かつて人気を博していたのは、どちらかといえば受身で、保護欲や所有欲をストレートにくすぐりそうなキャラクターが多か

    欲しがるオタクから欲しがられたいオタクへ----オタクの欲望トレンド今昔 - シロクマの屑籠
  • モンスターペアレントや非常識は、“治療”の対象となりえるか? - シロクマの屑籠

    わが子しか見ない「モンスターペアレント」の実情とは 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News 隣のモンスター - すべての夢のたび。 モンスターペアレントについてのAFPの記事に、「モンスターペアレントは治療すべきだ」という感想がついているのを見かけた。“これはもう、病気じゃないの?”、と。 このような感想をお持ちになるのも、確かに不思議なことではないと思う。実際問題として、「毎朝家まで子どもを起こしに来てほしい」「翌日の天気を調べて傘が必要かどうか知らせてほしい」などと要求されては学校というインフラはまともに成立する筈が無い。また、他の子との兼ね合いを考えても、それは無理筋である。 恐ろしいことに、こうしたモンスター○○の話は近年では全く珍しくなくなってきている。子育て真っ最中の父兄、地域の大人、教職に就いた友人、そして心療内科の現場……どこででも一律にこういった話を耳にするし、その

    モンスターペアレントや非常識は、“治療”の対象となりえるか? - シロクマの屑籠
    peppers_white
    peppers_white 2010/03/27
    その手の常識のようなものを教えるインフラはネットに以降しつつある感が
  • “たくさんの情報”は、ネットユーザーに多角的な見方をもたらすか? - シロクマの屑籠

    「インターネットのおかげで情報の多様性が得られて、だからネットユーザーは多角的な見方がしやすくなった」……みたいな意見を耳にすることがある。 それって、どこまで当なんだろう? まあ、インターネットに繋がれば情報のチャンネルが広がったような気はする。各種ニュースサイトやブックマーク、RSS、星空のようなfollowers、常に流れっぱなしの情報源…。かつてなら10のチャンネルしか得られなかったところが、100や1000ものチャンネルを選ぶことができる。だから、情報の多様性が得られるようになった、というところまでは確かにそのとおりかもしれない。 けれども、ネットユーザーは多角的な見方がしやすくなった、というくだりは、当にそのとおりなんだろうか? 1.たくさんの情報を、独りでぼっちで読むインターネット 例えば、自室にこもってコタツに入ったまま、一人でネットを巡回し、目を皿のようにして『ニコニ

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  • “男の娘”と成熟拒否――男でも女でもない“かわいさ”を求めて - シロクマの屑籠

    「ボクは女の子になりたかったんだ」と 「ボクは男の子でいたくない」。 この二つは、似ているようで全然ニュアンスが違う。 オトコの娘のための変身ガイド―カワイイは女の子だけのものじゃない 作者: 女装普及委員会出版社/メーカー: 遊タイム出版発売日: 2008/09メディア: 単行購入: 7人 クリック: 490回この商品を含むブログ (17件) を見る “男性オタクがカラオケで美少女キャラクターになりきって恍惚状態で歌っている”といった光景を、あなたは見たことがあるだろうか。男性オタクが美少女キャラクターに自分を重ね合わせて恍惚としているシチュは、オタク界隈ではそれほど珍しいものではなかった。*1そういった光景に出くわすみるたびに私は、「このひとは、当は女の子になりたいのかなぁ」などと想像したりもしていた。 けれども、その手の美少女コンテンツを愛好しているオタク達が志向している先は、ほ

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  • 他人を見下す親の子どもは、尊敬力が低く育ちやすいか? - シロクマの屑籠

    「他人を尊敬する力の低い親の子どもは、同じように尊敬する力が低く育ちやすいのか?」 どうなんでしょうね、これ。 いるじゃないですか、学校の先生をいつも見下してる親とか。 子どもの前でも平然と先生を見下す親って、昔から一定数いましたが、最近はたぶん増えてるっぽいような気がします。でも、そんな親もとで育った子どもが尊敬や敬意を身につけていくのって、なんだか大変そうだと思いませんか? やたらと他人を見下す親は、子どもの尊敬力の芽を潰しているのか ちょっと想像してみてください。 子どもの一番間近にいて一番長く過ごす親から「あの先生はダメだ」とか「この人の言うことはあてにならない、親の言うことだけ信じなさい」とか、小さい頃から延々と吹き込まれて育てられて、それで尊敬力ってつくものでしょうか?他人をスゲーと思いやすい人間になれるものでしょうか? いや、それでも尊敬できる人を間近に見つけられる子どももい

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  • オタクじゃない奴が入ってきた vs オタクが増えた - シロクマの屑籠

    先日、秋葉原の某同人ショップで買い物をしている時、レジに並んでいる前の人達がこんな会話をしていた。 「ここの客層、変わったよね」 「なんか、オタクじゃない人も同人誌を買うようになって、だいぶ雰囲気が変わった。」 「場違いっていうか」 ああ、こういう感覚の人ってまだまだいるなぁ、と改めて思った。 「オタクじゃない人も同人誌を買うようになった」と認識しているということは、この人達にとって、「同人誌を買うやつ=オタク」ではなく、たぶんオタク認定するための基準は他のところにあるのだろう。 一方で、最近では以下のような意見をよく見かけるようになった。 いわゆるライトオタク増加論、だ。 今や、オタクとは程遠かったガチでオサレな人達がオタク(?)になっているっぽい。オサレな人達や無遠だった人達がニコ動によってオタク文化と接触して、ハマっていっているのかな。僕の実感としては、格的にオタクがライト化という

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  • 恋愛フラット化は、イレギュラーな性分に理想の異性をもたらすか - シロクマの屑籠

    何年か前に、とてもギークで風変わりな男性と宴席で御一緒したことがあった。 彼は子持ちのギークだったが、その時、彼が語った言葉が今でも印象に残っている。 「今の嫁さんに、俺のギークな性格やライフスタイルを気に入って貰えているからとても助かっている。」 「「けれども俺みたいな性格・生活を気に入ってくれる嫁さんは、たぶん世間にはあんまりいないと思う」 「俺みたいなタイプの男性を気に入ってくれる女性は少ない筈で、マッチングの需給関係は絶対にアンバランスだろう」 確か、こんな内容だったと思う。 ギーク然とした性格・ギーク然とした生活をしている男性を気に入ってくれる女性も、たぶん探せばいないこともない。けれども、ギーク然とした男性の総数にみあった数の女性が“ギーク・ラヴァー”になるかというとそうではなく、需給には著しいアンバランスがあるだろう、という話だった。 これは、“ギーク然とした生活をしている

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