凄く個人的な理由で、AC長野パルセイロを応援しています。 理由っていうのは単純に、要田選手が好きだ、ってだけです。 好き過ぎて、長野まで行きました。 軽いストーカーですね。 続きます。 まずは要田選手について。 04年10月のジェフ入団当初の印象は、「だれ?」でした。 当時、怪我人が続出するジェフを救ってくれたのは、芳賀選手を中心とした当時のジェフアマ勢と要田選手でした。 ジェフアマの面々は知っていても、要田選手についてはまったく知識のなかったこともあり、一気に興味を惹かれました。 経歴を見ると、 96 神戸 出場なし 97 神戸 出場なし 98 神戸 2試合 99 無所属 00 横浜FC 10試合 3得点 01 横浜FC 12試合 2得点 02 - 03 - 04 市原 前所属は、フェルナンド・デ・ラ・モ
9月7日、群雄割拠・北信越リーグの幕が閉じた。 頂に立ったのはAC長野パルセイロだ。あのジョホールバルでの戦いでイラン代表監督を務めていた名将・バドゥ監督に率いられたチームは、リーグ最多の55得点、そしてリーグ最小の11失点とダントツの強さを見せ、リーグを制覇。 最終節では信州のライバル松本山雅を1対0で破り、地域リーグ決勝大会へ大きな弾みをつけることとなった。 「薩川さんの存在が大きかった」と今季の好調の要因について、選手たちが声を揃えたように、チームを縁の下で支えていたのは横浜フリューゲルスや柏レイソルで活躍した薩川了洋コーチであった。 バドゥ体制3年目を迎えた長野だが、昨年までは結果が出なかった。 というのも、豊富な経験と卓越した戦術眼を持つバドゥだが、言葉の問題もあり、なかなか選手たちにうまく伝わらず、意思疎通がうまくいかなかったのだ。 そんな「ちょっとした溝を埋める存在」
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