幕末に活躍した薩摩藩の家老、小松帯刀を輩出した小松家は、江戸時代の中期に、それまでの姓から「小松」に変わったとする文書が見つかりました。 「小松」は平安時代に朝廷と関わりがあった姓で、専門家は「朝廷の権威を背景に、小松家は重要な役割を果たすようになったのではないか」と話しています。 今回見つかったのは薩摩藩の家老、小松家の古文書およそ50点で、帯刀の子孫の小松士寿子さんの東京の自宅を家族が整理していた際に見つけました。 文書には、江戸時代中期に今の鹿児島県日置市の領主だった禰寝(ねじめ)氏が、「薩摩藩から許されて『小松』と名乗るようになった」と記されています。 禰寝氏は、平清盛の息子、重盛の子孫で、重盛が平安時代に朝廷で「小松内大臣」と呼ばれていたことから、「小松」姓を名乗ったとみられるということです。 幕末、小松帯刀は薩摩藩の家老として、大政奉還などを巡り朝廷や幕府を相手に交渉するなどの