体操の内村君が、予選落ちして言ったとされる言葉。。 報われない努力もある。。 今までは、努力は裏切らない。。とか、努力は報われる。。 そういう世界で生き続けてきたと思うのです。。 でも、僕は思うんです。。 予選で落ちて、この事に気づけた現在の内村君こそ、今までで1番内村君らしいのだと。。 私達は、努力して出した結果。。または達成した人しか味わえない充実感、高揚感。。 それを人間の心の成長だと勘違いしているのです。。 そうではない。。 特定の結果を達成しないと味わえない心が悟りであるはずがない。。 努力して報われるとか。報われないとか、その考え方は、努力しない奴は報われない。。 だからあいつはダメなんだ。。 と、差別の心を生み出している。。 走るのが得意な人がいれば、走るのが苦手な人もいる。。 誰もが努力する事が得意な訳じゃないんです。 そんな事より、今回内村君が、初の予選落ち。。 他の選手
福岡のホテルにいる。心ある方から「7月25日まで滞在可能なホテルがあります」とご連絡をいただき、ご好意に甘えて待ち合わせ場所まで行ったら巨大なメルセデスが待ち構えていた。最近凄い。札幌ではキャデラックに乗せていただいた。自分自身は裸一貫、一歩間違えれば一巻の終わりの野良人間だが、周囲が凄い。今日はこれから東京に飛ぶ。非常に有難いことに飛行機を手配していただいた。一丁前にJALだ。毎日「俺って何なのだろう」と思う。JALには乗るが到着以降宿はない。 おおまかなスケジュール 7月25日(日)東京 以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 自分の行為に祈りが乗っかっている時は、その行為を好きになれる。自分の正当性だけを主張しているような時は、最後に虚しさが残る。周囲からの理解が足りないと嘆く時、足りていないものは理解ではない。祈りだ。 最悪を受け入れると、生きるしかなくなる。 - いばや通信
www.nikkansports.com 賛成とか反対とかいうより、今回のオリンピックそのものにあんまり興味がわかないんだよなあ……と思っており、めんどにうな仕事が多い金曜日が祝日になってラッキー、という感じで過ごしていた7月23日だったのですが、ネットで「入場曲に『ドラクエ』『FF』などのゲームミュージックが!」というのをみて、追っかけ再生で開会式を観てみました。 こんな状況下でのオリンピックなんて、そりゃ盛り上がらないよなあ、もう、一か所に選手が集まってやるオリンピックなんてオワコンなんじゃない?とか思っていたのです。 でも、はじまってみて、馴染みのゲームミュージックが採用されたことにTwitterのタイムラインが盛り上がっているのをみると、やっぱりオリンピックって「権威」なんだなあ、って。まあ、すぎやまこういち先生の過去の言動について、小山田圭吾はダメで、すぎやまこういちなら許される
東京オリンピックにまつわる一連の不祥事、不手際、不始末を経て残念に思うことは、これまでのオリンピックで人並みに感動し、興奮した思い出ごと汚されてしまったような気持ちになったことだ。平昌のスケート、アテネの体操、シドニーのマラソン、長野のスキージャンプ。どれも苦労せずとも感動した記憶が容易に蘇るものの、その改は今回のような小汚い不正や見苦しい商業主義が蔓延っていたのだと思うとどうしても白けてしまう。まぁ今回のはあまりにも露骨で杜撰だけれども。 よくよく考えればスポーツの一つ一つのプレーが素晴らしいのは当たり前のことだ。一流の人間のパフォーマンスはそもそもどんな舞台であっても卓越している。近所の公園や体育館でも同じ技術をアウトプットすることはできる。ただ見る側が勝手に舞台を作って勝手に感動しているだけだ。だからパフォーマーが素晴らしいからといって舞台装置まで肯定するのは単純に問題を混同している
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