2018年6月4日のブックマーク (1件)

  • 「食堂車」フランス料理も寿司もありの120年 ブルトレ・特急・新幹線…レア写真で見る歴史(東洋経済オンライン) - goo ニュース

    昭和50年代、私はある週刊誌のグラビアで、北海道から鹿児島まで特急列車の堂車従業員を取材したことがある。国鉄と日堂の協力を得て、北海道の特急「おおぞら」から「はつかり」「白鳥」「雷鳥」「はやぶさ」などを乗り継いで鹿児島まで取材を続けた。 当時の特急にはほとんど堂車があり、「ひばり」「あいづ」「はつかり」「雷鳥」「有明」といった都市間の線を走る列車はもちろん、ディーゼル特急の「おおぞら」「おおとり」「やくも」「まつかぜ」「くろしお」などもほぼ全列車に堂車が連結されていた。 今思えば、この時代が列車数からしてみても堂車全盛の時代だったのであろう。それから数十年、堂車はどのような過程を経て定期列車から消えてしまったのであろうか。 戦前から洋フルコースが 日堂車の歴史は、1899(明治32)年に山陽鉄道(現在のJR山陽線)と官設鉄道(のちの国鉄)乗り入れの急行列車に連結

    「食堂車」フランス料理も寿司もありの120年 ブルトレ・特急・新幹線…レア写真で見る歴史(東洋経済オンライン) - goo ニュース
    photokuri
    photokuri 2018/06/04
    1993年3月水戸の女子校修学旅行に同行したとき秋吉台からの帰路、あさかぜに乗車、生徒たち消灯の後、廃止寸前の食堂屋で先生方と打ち合わせをしたことを思い出します。私達以外乗り鉄の数人がバラバラといたなぁ