Taturo Atzu - Villa Victoria, 2002, Installationview,Liverpool Biennale, Liverpool
本号のゲストは、現代美術の鬼才として世界的に知られる折元立身さんです。代表作のひとつ「アートママ」シリーズでは、アルツハイマーとうつ病を患った母親の介護という現実をパフォーマンス・アートとして作品化。そのユニークかつリアリティあふれる作風は、海外でも高く評価されています。そこで今回の特集1では、折元さんに「アートママ」シリーズ創作のきっかけや母・男代(おだい)さんとの二人暮らし、福祉や介護に対する思い、そして今後の展望などについて、創作現場でもある川崎の自宅で語っていただきました。 介護という現実をアートへ。 それは作家としての自分のテーマにも通じていた。 1946年、神奈川県川崎市生まれ。1969年に渡米。カリフォルニア・インスティテュート・オブ・アートに学ぶ。1971年、ニューヨークへ移住、ナム・ジュン・パイク氏の助手を務め、フルクサスの活動に参加。1977年に帰国、おもに欧米で
現在シュウゴアーツ ステュディオのスタッフを募集しております。 シュウゴアーツは美術を愛する人に愛される美術を提供することをモットーに、アーティストとお客様を繋ぐ活動を続けています。自主展覧会開催を軸にアーティストのマネジメント、プロモーション、作品販売、作品管理、アーカイブ、出版、国内外のアートイベント協力など幅広い業務を行っています。
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "フィールドワーク" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年7月) フィールドワーク(英: field work)は、ある調査対象について学術研究をする際に、そのテーマに即した場所(現地)を実際に訪れ、その対象を直接観察し、関係者には聞き取り調査やアンケート調査を行い、そして現地での史料・資料の採取を行うなど、学術的に客観的な成果を挙げるための調査技法である。地学や地理学では巡検ともいう。 概要[編集] フィールドワークは、日本語で現地調査(実地調査)ということがあるが、上記のような定義にしたがった調査技法を用いる場合は「
テリ・ワイフェンバック WEIFENBACH, Terri (1957-) Terri Weifenbach(テリ・ワイフェンバック, 1957-)はニューヨーク州、ニューヨーク市生まれ。メリーランド大学で絵画を学んだ後、約30年以上に渡り写真家として活躍しています。また教育者としても、コーコラン・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン、ジョージタウン大学などで教鞭を執っていました。2015年にはグッゲンハイム奨学金を得ています。2019年以来、フランス・パリに在住。 彼女は、撮影場所が違っていても、日常にある何気ない自然風景、植物、鳥などを撮影対象としてきました。自然を愛し崇拝する感覚を持ってそれらと接しています。またピンボケ画面の中にシャープにピントがあった部分が存在する撮影スタイルが特徴で、写真での抽象表現の可能性を探求しています。夢の中にいるような、瞑想感が漂う光り輝く写真世界に
ヴォルフガング・ティルマンス TILLMANS, Wolfgang (1968-) ヴォルフガング・ティルマンスは、1968年ドイツ・ラムシェイド生まれ。 ジェネレーションXや若者文化を代表する写真家にとどまらず、現代欧州の最も重要なアーティストとしても高い評価を得ています。 80年代後半から90年代にかけて当時のロンドンのカルト雑誌“FACE”や“I-D”で写真作品を発表し注目されます。 1990年から2年間は、英国 Bournemouth and Poole芸術デザイン学校で学んでいます。 身の回りの何気ない人物、洋服、モノや旅先での風景など、普段は見逃されがちなものを自然でシンプルに親しみ深く表現するスナップ的作風が 特に若者世代の共感を呼び人気が高まりました。 1993年ケルンでの個展以来、拠点をニューヨーク、ロンドンと移しながら、 世界各地の主要な現代アート展覧会や雑誌に作品を発
アーロン・シスキンドSISKIND, Aaron (1903-1991) アーロン・シスキンドはニューヨーク生まれ。1931年頃から独学で写真を始め、写真グループのフィルム・アンド・フォト・リーグ(フォトリーグの前身)に参加し、"ハーレム・ドキュメンタリー"などのニューヨーク社会をドキュメントした作品を撮影しています。 彼の作風は1943年以降、抽象性の高い表現へと大きく転換しています。ボストン北部のグロスターで一夏を過ごし、海岸の岩や海草、打ち上げられたロープを撮影して以来、 "普通のもの、注目されないもの、意味のないもの"を題材にして、都市の街かどのペンキが塗られた古い壁、はげかかったポスター、落書きなどの部分ばかりを撮影するようになります。 彼の関心の中心は平面のなかに含まれたグラフィカルなメッセージでした。クローズアップされた、物質の細かな質感までが表現されたモノクロ作品はまるで抽
スティーブン・ショアSHORE, Stephen (1947-) 消えゆくアメリカ原風景をシリアスなカラー作品で表現するスティーブン・ショアは1947年ニューヨーク生まれです。 わずか6歳のときから写真や暗室作業を開始し、なんと14歳でニュ-ヨーク近代美術館の エドワード・スタイケンに写真を購入されたそうです。17歳でアンディ・ウォーホール とファクトリーの写真を撮影、その後連続写真に取り組みます。 1971年にはメトロポリタン美術館で写真家として初個展を開催した、 驚くべき早熟なキャリアの持ち主です。 1972年頃からにそれまではコマーシャルやファッション写真でしか使用されていなかったカラー写真での作品に取り組はじめます。 そして1972~1973年にかけて、当時24歳のショアはロバート・フランクの過程たどりながらニューヨークから全米の旅に出かけます。 “アメリカン・サーフェース”と名づ
マーティン・パーPARR, Martin (1952-) マーティン・パーは1952年イギリス、サリー州エプソン生まれ。 マンチェスター・ポリテクニックで1970~1973年にかけて写真を学んでいます。 70年代に3年連続で英国アート・カウンシルの賞を獲得し英国や欧州で注目されるようになります。 フリー写真家として生活するために1975年~1990年代にかけてさまざまな写真教育に関わる 仕事を行なっております。 80年代には、サッチャー政権下の中流、労働者階級の文化の激変とその中の大衆の不安をテーマとするようになります。やがてウィリアム・エグルストンやジョエル・スタンフェルド の影響を受け、中型カメラでカラー作品に取り組むようになります。 1986年に発表した3冊目の写真集"The Last Resort"で、労働者階級を悪趣味でのぞき的に撮影していると、論争の渦に巻き込まれるようになりま
ジャック=アンリ・ラルティーグLARTIGUE, Jacques-Henri (1894-1986) 天才的アマチュア写真家として知られるラルティーグは1894年6月13日、フランスのパリ郊外の裕福な家庭に生まれます。 8歳の時に父親からカメラを与えられ、彼は当時は貴重だったカメラに魅了されます。 日常生活を撮影した写真日記をつけ始め、アルバムを制作し、それを生涯続けました。 ラルティーグの興味はベルエポック時代の裕福な家族や友人達がゲームやレジャーを楽しむ喜びの表情を捉えることでした。 同時に若い彼はスピードと動きに魅了され、自動車レース、飛行機、グライダー、スポーツイベント、 ジャンプする人などを盛んに撮影しています。またアール・ヌーボー最盛期の流行ファッションをスナップショットしたイメージなどは ファッション写真としてみても一級品の作品です。 いずれもパーソナルな視点でとらえられてア
トーマス・シュトゥルート STRUTH, Thomas (1954-) シュトゥルートは1954年ドイツ・ゲルデルン生まれ。デュッセルドルフ美術アカデミーでゲハルト・リヒターに師事して絵画を専攻します。その後、写真を用いた制作へと転向しています。写真では溶鉱炉や給水塔などの写真で有名なベッヒャー夫婦に師事します。 ベッヒャー夫婦の産業建築物をサンプルのように撮影して並ベて見せる写真は “タイポロジー(類型学)”と呼ばれ、コンセプチュアル・アートおよび ミニマル・アートとして主に現代アートの分野で評価されています。現在ではベッヒャー派の有力写真家として知られているシュトゥルートの写真も 80年代以降の写真の新しい流れの担い手として、現代アートの文脈で評価されています。 シュトゥルートの作品はいくつかのシリーズで発表されています。初期の70年代から80年代半までの主にモノクロで欧米や日本の街の
トーマス・ルフRUFF, Thomas (1958-) ドイツ人アーティストのトーマス・ルフは1958年生まれ。1977から1985年までアンセルム・キーファーやゲハルト・リヒターなどを輩出したことで有名な名門デュッセルドルフ美術アカデミーでベッヒャー夫妻に写真を学んでいます。 これまでに大判カラーによるの友人のポートレート、典型的なドイツ人家庭の室内風景、夜空の星、建築物、新聞写真、ヌードなど、トーマス・シュトゥルートやアンドレアス・グルスキー同様にコンセプチュアルな写真作品を制作しています。初期の室内風景やポートレートのシリーズは、精緻で客観的なストレート写真でベッヒャー夫妻の強い影響を感じさせます。その後、ルフは精緻な客観像から更に一歩踏み出します。 写真の情報としての面に興味を持ち、デジタルイメージを画像処理した抽象作品や、新聞、古い広告、インターネットなど他者が撮影した写真を素材
カンディダ・へーファーは1944年ドイツ生まれです。 1976~1982年にかけてベルント&ヒラ・ベッヒャーに写真を学んでいます。 彼女は1975年以来、世界各地の美術館、図書館、銀行、学校、劇場など、主に公共施設のインテリア・スペースを撮影しています。人影をなくすことで見る側にその場所の役割を無意識化させ、 スペース自体の機能や装飾などのエッセンスを際立たせようとしています。厳密に構成され、カラー、フォルムが強調された作品は超現実的空間に感じられます。 ベッヒャー派のアーティストとして人気も高く、作品は欧米のギャラリーや美術館で幅広く展示、コレクションされています。 2003年には第50回ベネチア・ビエンナーレのドイツ・パビリオンの代表にも選ばれています。 当社は出来る限り正確な情報収集を心がけておりますが、諸事情により掲載情報が事実と異なる事もあります。 提供している、写真集等の販売価
アンドレアス・グルスキー GURSKY, Andreas (1955-) アンドレアス・グルスキーは1955年ドイツのライプチヒ生まれです。父親は商業カメラマンで1957年からはデュッセルドルフで写真スタジオを経営しています。 1978~1981年までエッセンのドイツ有数の写真学校フォルクワンクシューレで学びます。一時期ハンブルグでフォトジャーナリストを志しますが、1981年にアンセルム・キーファーやゲルハルト・リヒターなどを 輩出したことで知られる前衛教育で有名なデュッセルドルフ美術アカデミーに入学します。彼はその後7年間に渡ってトーマス・シュトゥルートなどともに勉強しています。彼の指導者はミニマルアートで知られるベッヒャ-夫妻で、 写真家であるとともに表現者としてのキャリア形成の重要性を教え込まれたそうです。彼はベッヒャ-夫妻の冷徹なほど客観的な写真表現法を5X7フォーマットのカラー写
ローレン・グリーンフィールド GREENFIELD, Lauren (1966-) ローレン・グリンフィールドは1966年ボストン生まれ。ハーバード大学でビジュアルと環境を学び、1987年に卒業しています。 1993年にナショナル・ジオグラフィックから補助を受け、ロサンゼルスの若者のドキュメンタリーを開始します。 ロサンゼルスで暮らす様々な階級出身の子供達の実態と、彼等の虚無観と不安をテーマにしたプロジェクトは 写真集、"Fast Forward: Growing Up in the Shadow of Hollywood "(Knopf)として1997年に発表され全米で大きな話題になりました。 収録作品は、ギャラリーやニューヨーク国際写真センターで展示されるとともに、1997年のICP Infinity Award などを受賞しています。 2002年には、新作写真集"Girl Cultu
リー・フリードランダー FRIEDLANDER, Lee (1934-) リー・フリードランダーは1934年ワシントン州、アバディーン生まれ、1948年、 14歳で写真撮影を開始しています。ロサンゼルス・アートセンターで写真を学 んだ後、1956年にニューヨークに移り住みフリーの写真家のキャリアを開始しています。 ウォーカー・エバンス、ロバート・フランクの写真に影響を受けたと言われています。 当初の主要テーマはニューオリンズのジャズ・ミュージシャンのポートレート でした。1960年代からは都市と人間の何気ない光景にまなざしを向ける、 社会的風景をテーマにするアーティストとして活躍するようになります。ロバート・ フランク後の米国ドキュメンタリー写真新世代の中心人物です。 1963年にイーストマン・ハウスで初個展を開催、1966年イーストマン・ハウスで開催された 『コンテンポラリー・フォトグラ
ロバート・フランク FRANK, Robert (1924-2019) ロバート・フランクは1924年スイスのチューリヒ生まれです。40年代前半から多くのスイス人写真家のスタジオで働き、1946年に手作りの初写真集"40 Fotos"を制作。1947年、23歳のときにアメリカに移民。アレクセイ・ブロドビッチに雇われ“ハーパース・バザー”誌で主に商品の写真を撮影しています。 1951年には“ライフ”誌の若手写真家コンテストで入賞し、1953年以降はファッション写真をやめフリーのフォトジャーナリストとして“ライフ”、“フォーチュン”、“ニューヨークタイムズ”“U.S. カメラ”などに写真を提供しています。 1949年から1953年にかけて、フランクはニューヨークからたびたび欧州を訪れフランス、スペイン、スイス、イギリスなどで撮影しています。 1951年~1953年には英国、ウェールスを旅してイ
ウィリアム・エグルストンEGGLESTON, William (1939-) 1970年代後半にカラー写真で作品を制作する「ニュー・カラー」と呼ばれる一群の作家が登場します。この動きのきっかけとなったのが1976年ニューヨーク近代美術館(MOMA)で開催されたエグルストンの個展です。同展を企画したジョン・シャーカフスキー氏が“エグルストンによりカラーのシリアス写真は発明された” と述べているように彼はモノクロ中心だったアート写真界でカラーによる可能性を切り開いた先駆者として知られています。 エグルストンは1939年アメリカ南部のテネシー・メンフィス生まれ、テネシーとミシシッピィーの3つの大学で学び次第にアーティストを目指すようになります。 1959年ころのカルチェ=ブレッソンとウォーカー・エバンスの 写真集との出会いをきっかけに写真家を志します。初期のモノクロ写真はロバード・フランク、リー
ロバート・アダムスADAMS, Robert (1937-) ロバート・アダムスは1937年生まれ。カリフォルニアで教育を受け、英語教師を長年務めたあと、1967年から真剣に写真に取り組むように なります。 主に郊外の住宅街、ドライブイン、高速道路、ショッピングセンターなどを撮影し、 都市化により変化する自然風景の表現が主要テーマです。 いままでにコロラド、デンバー、ロサンゼルスなどの変貌を撮影してきました。彼の風景写真の特徴は、自分自身の判断や意見を完璧に削ぎ落とした冷徹な客観性です。 そのアプローチはミニマルアートの美意識と対比されたり、人の手によって変化する自然を取り上げていることから現代アメリカ社会のドキュメントと評価されることもあります。 エコロジー、都会の混乱、環境問題などの実情を美しいモノクロ写真を通して暗喩しているのです。 1975年にジョージ・イーストマンハウスでウイリア
ユージェーヌ・アジェATGET, Eugene (1857-1927) アジェは1857年フランス南西地方ボルドー近郊のドリブルヌ生まれです。 馬車製造職人の家に生まれた彼は幼くして両親を亡くします。水夫を経験後パリの国立演劇学校で学び、役者などの職を経験した後にデッサンや絵を描くようになります。写真は1888年頃から撮影を開始したと言われています。 30年以上に渡って商業写真家であった彼はまず画家やイラストレーターが絵に使用する資料用写真を撮影し販売しました。彼の顧客にはマン・レイ、ドラン、 ユトリロ、フジタなどがいたそうです。 世紀が変る中、特に消えかかる19世紀の雰囲気が残る風景やパリの職人、商人の生活を中心に撮影しました。やがて、古いパリを体系的に記録するプログラムを 生み出します。彼は街の構成要素のすべてを丹念に写し、記念建造物、ベルサイユなどのパリ郊外の公園、ルーブル美術館の展
杉本 博司SUGIMOTO, Hiroshi (1948-) 杉本博司は1948年東京生まれ。立教大学経済学部卒業。 世界各地を旅行後、1970年にカリフォルニアに居を構え、ロサンゼルス・デザインアート・センター・デザイン・カレッジで 写真を学びます。当時はミニマルアートとコンセプチュアルアート花盛りで、その後の彼の作風に多大な影響を与えています。1974年にニューヨークに移り、8X10の大判カメラで写真撮影を行い現代美術の作家活動を開始。現在は、東京及びニューヨークを拠点としています。しかしほとんどの時間、進行中のシリーズの新モチーフを捜して世界中を旅しています。 1976年から各地の自然史博物館の3次元展示による剥製動物をまるで生きているかのように撮影する“ジオラマ”シリーズを開始。1978年からは光そのものをテーマにした出世作である“劇場”シリーズに取り組んでいます。これは全米各地の
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