「男」と一括りにしてしまってるのが差別とつっこまれるのでは? 例えば「黒人の犯罪率が高い」から「黒人のいない街にしよう」というのと、「男性の性犯罪率が高い」から「男性のいない街にしよう」というのは話の構造が似ていませんか?
やっぱり同じようなことを思ってるのか いつか結婚退職or産休育休するかもしれないという目で見られると出世は遅くなる。 会社がそう考えてしまうのは仕方ないとも思うけどこちとら既に家庭があって人を養ってる身なんだよなあ… なんでそんなに仕事頑張ってるの~結婚しないの~寿退社すればいいじゃん~という同期女子とは打ち解けられない 大黒柱役の人が男と結婚してしまうのは最前線で頑張り続けるのに疲れてしまったのかもしれないね。心身共に強くないと社会に出てレズなんかやってらんねーよなって思う ルームシェアブームがありがたいのも一緒。 我が家はフェム同士で誰にも疑われないし、家族にも仲が良すぎる親友で通ってる。このまま永遠にルームシェアがはやり続けて欲しい
先日、男の娘をやってますという人と話す機会があった。異性装についてきちんと考えたことはなかったけど個人の自由は誰にも侵害されてはいけないし社会から受け入れられて当然であるべきと思ってきた。 彼は性自認は男性であって恋愛対象は女性、でも女装ではなく自分を表現する為に女性の恰好をしているのだと、難しい話はよくわからず流していたけど、おおまかにはそんな話をしていた。 最初はなんとも思っていなかったけど、話してるうちに腹が立ってきた。 そもそも聞いてもいないのに自分のアイデンティティについて強烈にアピールしてくることにまずうんざりして、会話から彼の「チヤホヤされたい」って気持ちがこれでもかってくらい伝わってきたことにうんざりした。 「女子より女子っぽいとよく言われる」とか「化粧品が詳し過ぎてしょっちゅう女の子から教えてくれってせがまれる」とか「先週男にナンパされて男だって言っても信じてくれなかった
私は同性愛者です、とカミングアウトする動画を見た。 その勇気や覚悟に心を動かされると同時に、己を振り返ってみたのだが そもそも、私は、自分が異性愛者か同性愛者かそれ以外か、断言することができないな、と思った。 高校生の頃、友人と思っていた男子に告白された。 友人としては決して嫌いではなかったのに、その好意はまったく嬉しいと思えなかった。 多分、私は、友人が私に対して、恋愛的な好意を持った瞬間がどこだったかを知っている。 一瞬「あれ、いま、変な雰囲気になったな?」と思ったのだが、疑ったりへんに距離を置くことは友人として失礼だと思ったため 意識的にスルーして、友人として付き合い続けていたのだ。その数ヵ月後に告白されるに至ってしまった。 告白はすぐさま断った。そうしたら、もう友人としてさえ話せなくなった。 それ以来、「あれ、いま、変な雰囲気になったな?」を感じ取ったら、その男性からは離れるように
女の人の部屋に上がりこんだ男がセックスしようとして失望されたという話をtwitterで見かけた。被害にあった女の人はとてもかわいそうだと思う。部屋に上がり込んだらセックスができると考える男はいる。部屋への誘いをセックスの許可と受け取る男は確実にいる。そこのところは空気を読んで区別をつけろと言いたいかもしれないけれど、明文化されていないコミュニケーションをすべての人間に求めることの方が愚かだと私は思う。明文化されていない暗黙の了解を読み取ってコミュニケーションをとることがどうしてもできない人間がこの世界には少なからず存在して、ことセックスに関しては他人のそれを観察して学習することも、死に覚えゲーのようにトライアンドエラーを繰り返して身に着けることもできない。なにしろ、一度強姦未遂になったら関係の修復は難しいし、経験の絶対数を日常の会話ほどに稼ぐことはできない。 「だから部屋にあげた女が悪い」
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