何気に勇気がいる気がする。 2番目の人からは最初にスターをつけた人に同調して 最初にスターをつけた人よりは気楽にスターをつけることが出来る。 勇気がいるという意味が分からない人に説明すると 自分が実は的外れなコメントにスターをつけているのではないかという心理から来るものだ。 自分自身、普段そこまで考えたことはなかったけれど、 もしかしたらそういう考えもあるのかもしれないと思った。
こちらが一方的に嫌ってるだけで、あちらはこちらの事など意識すらしてないだろうけど。関心のある範囲が似ているのか、よく同じ記事をブクマする。で、こちらのコメントにあちらがスターを付ける事がたまにある→「お前のスターなんて要らねええええ」と言う訳にもいかずもやもやする。気にしないようにするしか無いのかな。そりゃそうだよな。
戯言僕ははてなスターとか、web拍手とか、そういうサービスが大好きです。作り手から一方通行に何かを伝えるだけじゃなく、受け手も作り手に対して気軽にコンタクトをとれる。ニコニコ動画のコメントとかもそうですし、はてなブックマークなんかもそういう側面がありますよね。書き手が読み手のことを知る、読み手が書き手に面白かったと伝える、そういった事を実現するサービスは、書き手としても読み手としても大好きです。 でも、そういったサービス。つまりはてなスターやニコニコのコメントなどが、かえって読み手の声を殺している場合だってあると思うんですよね。 先日、大学にてクラスメイトからこんな事を言われました。「この前の、研究室にゲームを持っていく理由って記事。あれ、むっちゃよかった。感動した!」彼が言っていたのは、多分「研究室に真っ先に中毒ゲームを持っていった理由」のことです。もちろんあの褒め言葉はお世辞で、実際に
はてなブックマークのネガコメ方面が盛り上がってるみたいなので考えてみた。 はてなダイアリー ネガコメブックマーカーなんて存在しないよ!:ekken ネガティブなはてブコメントについたはてなスターはポジティブか? はてなブックマークのコメントでネガティブな反応をすることよりも、タグ付けによって「しねばいいのに」とか「これはひどい」と言ったネガティブな評価を、簡単に付けることができてしまう、ことは問題だと思う。 はてなスターの多義性について考えた - Money does not hurt your heart はてなスターについてのこの記事に付いた、id:subsukaponさんの「ネガティブなブ米に付けられた星はポジティブなのか?」という指摘は、はてなスターの目指した方向とまったく逆の使い方だろう。こういう見方をしたことがなくて、目鱗。 id:jkondoさんがどこかで、「リリースしたサー
はてなスター、私はとても気に入っているのだけど、「はてなスターを付ける」という行為が多義性を帯びてきているような気がする。 はてなスターが始まった当初は、ただ単にポジティブな印象を受けたよ、といった意味合いでスターを付けていたのだけど、最近は 「読んだよ」 とか 「共感したよ」 とか、 「ここの文章、いいね」 とか、 「もっと私を見て!」 とか、 「好きです」 とか、 「いつも見てます」 といった意味合いで付けることがある。 たぶん、「読んだよ」的はてなスターは、id:umedamochioさんが提唱し実践している「全部読む」戦略の一環で生まれた使い方じゃないだろうか。 「好きです」とか「いつも見ています」というのが双方にとってポジティブなのか、いいことなのか、快なことだろうか、というのはおいておくとして、はてブの持つネガティブ性を消す方向性を持って始まったはてなスターなので、ネガティブな
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