2020年9月27日のブックマーク (3件)

  • りんご音楽祭を2時間で退場した話

    目の前の光景が2020年のものとは思えなかった。 「これはダメだ……」と思わず声が漏れてしまった。 〜 毎年、長野県松市で開かれる野外音楽フェスが「りんご音楽祭」だ。 市内のアルプス公園で数十組のアーティストを集めて開かれるこのフェスは、仕事で松に転勤が決まってから参加を楽しみにしていたイベントの一つだった。 今年はコロナ禍で開催されないと思っていたけれど、松市とも協議の上で各種感染症対策をすることで開催に漕ぎ着けたらしい。 そのため、チケットも長野県内でしか売られず、入場者も1日5000人から1000人まで減らしながら開催するという。 長野県近辺の人が集まるという前提で、しっかりと感染対策が取られているならば、そこまで不安にならずに参加できるだろう……と考え、チケットを2日分通しで購入したのが先々週の話。 〜 そして開催日の日9月26日、朝から浮かれた気分でアルプス公園まで足を運

    りんご音楽祭を2時間で退場した話
    pilpilpil
    pilpilpil 2020/09/27
    りんごの運営は独特だし、さらにGOTOや9月連休の報道で入場者意識の潮目が変わったのかも知れないですね。
  • 「察してちゃん」はなりたくてなったわけではない

    「察してちゃん」がまるで悪のように扱われるのは当にしんどい。 察してちゃんになりたくてなっているなんていない。 自分の場合は父親が原因だったけど、父親が母親に何でもかんでも命令して、命令を聞かないと暴力を振るう人だった。 それで母はいつも泣いていて、子供ながらに自分勝手は人を泣かせるのだと思った。 その上母は、私が何かをしたいといえば鬼のような形相で「わがままを言うな!」と叱りつけてきた。 これだけで自分の要望を人に押し付けることは罪なのだと思うに十分だった。 父親は自分勝手を押し付けてきた挙げ句に暴力を振るうろくでもない存在だと刷り込まれ、同級生が自分のしたいことを皆の前で発表する度に、あの子は愚かな子供だと、ヒヤヒヤしながら見ていた記憶がある。 わたしの知る限りでは、おとなになっても自分の意見や要望をたやすく口に出すことが許される世界なんてない。 その中で唯一、自分の意見が許される瞬

    「察してちゃん」はなりたくてなったわけではない
    pilpilpil
    pilpilpil 2020/09/27
    身を守るために必要なことだったのですね。過去形で書かれているので今は環境が良くなっているように感じました。
  • 「人は見かけによらない」と「内面は人相に現れる」って言葉が矛盾している事が気になる。

    もしどちらか片方の意見が真実ならもう片方は真っ赤な嘘という事になる もし時と場合によってどちらが正しいかが変わるのなら結局どっちも当てにならない事になる こんな相反する二つの考え方が淘汰されずに現代まで残っている事がおかしくて仕方がない どちらかが正しいならもう片方の言葉は要らない、もし両方とも正しいなら矛盾しているので対消滅すべきだと思う

    「人は見かけによらない」と「内面は人相に現れる」って言葉が矛盾している事が気になる。
    pilpilpil
    pilpilpil 2020/09/27
    一休さん本人が人相で袈裟が見かけだと思ってた。