2014年4月29日のブックマーク (5件)

  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

  • 60年代モッズ物語 - 60年代モッズ・ガイド

    ●モッズの起源 60年代に大流行したモッズは一体どこから生まれたのでしょうか。 モッズ・スタイルの起源は、1950年代後半頃に始まる。 もともとお洒落にうるさいロンドン郊外の若者が目をつけたのが、 当時イギリスで登場したイタリアン・スタイルだったのだとか。 これは56年にデザイナーであるセシル・ジーが発表したもので、 光るモヘア素材の丈の短いジャケットに細めのストレート・パンツ、 そして先の細いが組み合わされたもの。 さらに60年、ピエール・カルダンがこのイタリアン・スタイルを強調してよりタイトに。 ビートルズで有名な襟なしジャケットも登場した。 また少し裕福な中産階級の人たちは、さらに個性的なお洒落を求めて、 オーダーメイドしたファッションを楽しんでいたようです。 セックス・ピストルズの仕掛人、マルコム・マクラーレンも、 そんな中の一人だったとか。 その頃、カフェ・バーやクラブが大流行

    60年代モッズ物語 - 60年代モッズ・ガイド
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    『千のプラトー 資主義と分裂症』 ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ(共著) 宇野 邦一 他訳 河出書房新社(1994) ¥7,035(税込み) ISBN:4309241514 フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと、精神分析家フェリックス・ガタリの共著です。哲学書として読むべきか、副題の「資主義と分裂症」に留意して社会臨床的な試みの著述であるとみなすのかは悩むところですが、一般的には哲学書、分類上はポスト・モダニスム系の哲学書とされています。なお、書は「資主義と分裂症」の第1部をなす『アンチ・オイディプス』(1972年)の続編として1980年に刊行されました。 ポスト・モダニスムとは、近代の負の側面に執拗に光を当てようとする一群の哲学ですが、思考の射程が時にギリシャ・ローマに遡ることがあるとはいえ、扱われることは主に近代のありようであり、今日、普遍的ないし自明とされるものは近代社

  • 笑いと権力について - Freezing Point

    contractio 氏、「正しいこと言いたいなら 笑いか権力、どっちか取らなあかんで」(togetter) お忙しいところ、お返事ありがとうございます。 【※エントリに頂いたお返事も、togetter に追加しました。】 私は 《権力》 という言葉を、「領土的な反復や強制力」というぐらいの意味で使っていました。 集団のなかで自分だけが笑えない場合、その場に反復される《笑いのスタイル》に、どうしても入っていけない。 これはマイノリティだけでなくて、例えば 「とんねるず⇔ダウンタウン」 のように、それぞれがお笑い強者のはずなのに、同席すると笑えない、ということがあります。 つまり、ある解釈のフレームがその場を支配する必要があって、それが軋み(きしみ)を起こすと、笑えない。私はそこに、権力の話との重なりを読みとったのでした。 周囲が笑っているのに、自分が笑えない場合、それが お笑いのスタイル

  • ひきこもる人は、社会の外側にいるのか? - Freezing Point

    酒井泰斗氏のツイートより: 「反社会的」とか「社会復帰」といった言葉遣いにおける「社会」が超越概念であることの気づきを得た。 2013-01-22 09:10:10 via Twitter for iPhone 示唆的でした。 このご発言の酒井さんの文脈を存じませんので、私の勘違いかもしれませんが、 支援論の大事なポイントを思い出したので、メモしてみます。 端的に言えば、 ひきこもった状態は、社会の外側なのか、それとも内側なのか? 社会の外側だと考えると、支援は「内側に入ってこい」になる。 社会の内側だと考えると、支援は「すでに居る場所を何とかしなければ」になる。 雑誌『ビッグイシュー』の往復書簡では(参照)、 斎藤環さんは明白に前者の発想であり、私は後者でした。*1 親に扶養されていても、それは「社会のなか」としか言いようがない。 とはいえ、「だからそのままでいい」ではなくて、 そこには

    pinza0604
    pinza0604 2014/04/29
    囲いの内部を問い直すことができない人は、「外部」との関係も問い直すことができません。そこで社会復帰とは、「超越への迎合」でしかなくなる。やりなおす、という作業の要素が見当たりません。