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文化に関するpiranee9043のブックマーク (2)

  • 『耳鼻削ぎの日本史』”やさしさ”から”見せしめ”まで - HONZ

    “耳鼻削ぎ”とは穏やかではない。というか、野蛮。現代人はそう感じるだろう。日歴史上で耳や鼻を削ぐといえば、戦国時代の話かな。敵の首をいくつとったか戦功を証明するのに、首だと持って帰るには重いから耳。いや耳だと左右二つ削いで数をごまかせるので鼻になったんだっけ。いやはや、戦国時代は血腥い…。 著者は日各地の“耳塚”“鼻塚”を訪ね歩き調査する。無惨に討たれた武士たちの耳や鼻が何百と葬られたというのなら、さぞや怨念が染み付いているだろう、怨霊話もあるだろう。耳や鼻を削ぐという行為の意味もみえてくるだろう、と思いきや。 なぜかどこへいっても「耳の神様が耳の聞こえをよくしてくださるところ」という話ばかりだったのだという。 私は日中の耳塚・鼻塚を訪ねてまわり〜(中略)けっきょくのところ、どこの耳塚・鼻塚からも不気味な怨霊譚が聞かれることはなかった。それどころか〜(中略)土地の人から愛され、ご利

    『耳鼻削ぎの日本史』”やさしさ”から”見せしめ”まで - HONZ
  • 人類を定義する一冊『人類はどこから来てどこへ行くのか』

    挑戦的なタイトルで「人類とは何か」に迫った一冊。 大上段で、具体的で、断定的で、しかもツッコミまくる読書になる。私だけが真実に最も近いという自負心が透け見えて面白い。強引なレトリックに鼻白むことはあっても、その主張が核心を突いていることが感じられ、興奮させられる。賛否は割れるだろう。だが、「人類とは何か」について考えさせるのが著者の目的だとすれば、書は大成功しているといえる。 著者はハーバード大学の生物学者。分子遺伝学、神経科学、進化生物学、考古学、生態学、社会心理学、歴史学の視点から、ゴーギャンがタヒチで書き付けたこのテーマを照らす。 われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか 「われわれは何者か」この認識は、立場や自尊心によって歪められる。神学者からファシストまで、特定のイデオロギーの信奉者は、「人類の性」を自分に都合良く定義してきた。特に経済学者に多い

    人類を定義する一冊『人類はどこから来てどこへ行くのか』
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