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2011年8月25日のブックマーク (2件)

  • ふたりでめざす登山1万回

    8年前に認知症を発症した奥様を連れ、金剛山への登山1万回を目指す70代のご夫婦 そのドキュメンタリーは、実名で、二人の生活をありのまま記録していた ご主人は、若い頃事業に失敗し、奥様にたいへんな苦労をかけたと・・・ 抑えられない感情、薄れ行く記憶、徘徊してはご近所のポストを荒らす そんな、重度は二番目に重い症状の奥様の介護を独りで続けるのは ”償い”の想いもこめられているのだろう 症状が悪化する奥様を連れ、毎日のように金剛山を歩く 知り合いに会えば、~さんやで、また会ぉたな、とその度に奥様に話しかける 奥様が歩き飽きたら、童謡を歌ってあげる 汗をふいてあげる、お茶を飲ませてあげる、ベンチに優しく座らせる 献身的なんて言葉では表現出来ないほどの介助ぶりが生々しい そんなお二人は、この冬、数十年ぶりの大雪が降り積もる中も金剛山を歩く 手に手をとって、いつものように歩く そして、ついに恐れていた

    ふたりでめざす登山1万回
  • 登山1万回の約束 - 脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

    今夜NHK 夜10時、 「登山1万回の約束」 重い認知症のと、その夫の毎日の山登りの日々の 一年余の記録。 マスコミも最近では 当たり前のように「認知症」をとりあげる。 しかし、かつて「認知症」が差別と蔑視が含まれたような時代、 「痴呆」という言葉で 一様にくくられてきたあの時代は、 きっと今の私たち脳脊髄液減少症患者みたいに 無視され、無きものとされ、 世間から見捨てられてきたのだと思うのです。 かつての「認知症」の人たちは、 きっと、私たち脳脊髄液減少症患者が今まで受けてきたような、「無理解」のしうちを 長い間、家族や社会から受けてきたんだろうと想像します。 「病気」によってそういう状態になっている、として理解されることなく、 支えてもらうことなく、 「困った人たち」といった、うんざりした視線を向けられて いたんだろうなと。 昔だって脳血管での障害や、 アルツハイマーなどの認知症での

    登山1万回の約束 - 脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」