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2018年1月22日のブックマーク (3件)

  • 私は、私――。性分化疾患で揺らいだ性の認識と、自分が何者か分からない苦悩を経て【後編】 | LGBTER|エルジービーター

    01 女でも男でもない “バケモノ” 02 急速に崩れていく自分 03 「私は女の子として生きていてはいけない人間」 04 「男」として生きる覚悟 05 やっと聞けた、当のこと ==================(後編)======================== 06 やり直し 07 性分化疾患の人たちとの出会い 08 今度は自分が手を挙げる側に 09 あの時、何があればよかったのか 10 家族をもう一度捉え直す 06やり直し 父との邂逅と、女性としての葛藤 荒れた状態を心配した父からは何度か電話があり、23歳の時、久しぶりに会った父から問い詰められた。 「なんでこんな風になっちゃったんだよ」。 それは、自分が反抗期をこじらせたまま荒れ続けているのだと言っているようにも聞こえた。 「だって私はこういう身体でずっと苦しくて、手術もすごくつらかったんだよ? どうしてそういうことを言う

    私は、私――。性分化疾患で揺らいだ性の認識と、自分が何者か分からない苦悩を経て【後編】 | LGBTER|エルジービーター
  • 私は、私――。性分化疾患で揺らいだ性の認識と、自分が何者か分からない苦悩を経て【前編】 | LGBTER|エルジービーター

    私は、私――。性分化疾患で揺らいだ性の認識と、自分が何者か分からない苦悩を経て【前編】 ずっと、何の疑いもなく「女の子」として生きてきた。そう、あの日までは――。「子宮も卵巣もない」という突然の宣告を受け、自分が女性なのか、男性なのか、何者か分からないまま、荒れて夜の世界へ飛び込んで一度は男性として生きようとしたこともあった。しかし主治医の力強い言葉、同じ性分化疾患を持つ人たちとの出会い、再構築した家族関係、様々な環境に支えられ、ようやくここまで来られた。次は私が、みんなからもらった恩を誰かに送る番――。同じように孤独な当事者に、「ここで私も、生きてるよ」と伝えたい。 2017/01/18/Wed 小池 知香子 / Chikako Koike 1986年、千葉県生まれ。胎児として母体で成育する間、様々な要因で典型的な男女の性に分化せず発達、誕生する、「性分化疾患(インターセックス)」と呼ば

    私は、私――。性分化疾患で揺らいだ性の認識と、自分が何者か分からない苦悩を経て【前編】 | LGBTER|エルジービーター
  • 江馬細香/Web書画ミュージアム

    江馬細香 Ema Saikou 天明7年(1787)~文久元年(1861) 美濃国大垣藤江村に大垣藩医江馬蘭斎の長女として生まれる。名は多保、字は細香、号は湘夢。3歳の時、妹柘植が生まれるが、病気で母乃宇、兄門太郎を相次いで亡くす。翌年蘭斎が山佐野と結婚する。幼い頃より詩画の才能に秀でる。寛政7年(1795)、蘭斎が三年間の蘭学の修行の後、江戸より帰郷し好蘭塾を開設する。寛政11年(1799)この頃(13歳)より京都の画僧玉潾に師事し墨竹画を学ぶ。文化10年(1813)、頼山陽が江馬家を訪問し、細香は山陽に入門する。(この滞在中に山陽と細香の間に恋がめばえ、結婚を申し込まれたが、蘭斎が断ったと言われている。)以降上京は7回を数える。文政2年(1819)、この頃より浦上春琴に画の指導を受ける。翌年梁川星巌、村瀬藤城らと詩社白鷗社を結成。文政8年(1825)、『蘭化先生伝』、『冬日記』を作る