11月3日。名古屋のポートメッセなごやで、任天堂の新ゲーム機・Wiiの一般向け体験会が開催されました。大盛況だった会場内を観察していると、従来のゲーム展示会とは、まったく異なる点が3つ発見できましたので、ご報告しておきます。 ひとつは、「ゲーム初心者が楽しめるソフト」の試遊台が、きわめて多かったこと。会場全体には、およそ190台のWiiの試遊台がズラリと並んでおり、その中にある初心者向けソフトの比率は、なんと50%を超えていました。主なソフトを挙げると、以下のようになります。 Wii Sports:42台 はじめてのWii:17台 おどる メイド イン ワリオ:9台 Wiiやわらかあたま塾(仮):8台 Wii チャンネル(似顔絵チャンネル+写真チャンネル):8台 バーチャルコンソール(過去のソフトを遊ぶコーナー):8台 ご覧の通り、最近になってゲームを始めた人や、久しぶりにゲームを楽しみた
Copyright© 1995-2007 Nikkei Business Publications, Inc. All rights reserved. このページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。著作権は日経BP社,またはその情報提供者に帰属します。 掲載している情報は,記事執筆時点のものです。
2022.01.25 はつらつセカンドステージ:元土木技師が本気で手がけたハーブ農園 2022.01.17 千葉市生涯学習センターで50代・60代女性の働き方を講演 2022.01.04 公明新聞の連載に第7回「どこで仕事を探すか」を掲載 2021.12.21 公明新聞の連載に第6回「定年後の資金」を掲載 2021.12.17 東京都江東区「シニア世代地域活動後押しセミナー」で講演 2021.12.16 『プレジデント』の「あなたの給料は、安すぎる」に登場 2021.12.14 公明新聞の連載に第5回「70歳就業法」を掲載 2021.12.07 公明新聞の連載に第4回「定年って、何?」を掲載 2021.12.01 サンデー毎日の特集「70歳からの生き方改革」に寄稿 2021.11.30 公明新聞の連載に第3回「自分を知る」を掲載
Welcome to the 60s' Wonder World !! (Last modified January 01, 2008) “60'sえれじい” 2008年01月03日(木) 皆様、あけましておめでとうございます。 「おお、お前は、まだ、生きていたのか」という皆様の声が聞こえてきそうなほど、御無沙汰をしてしまいました。 前回、この駄文コラムを書かせていただいたのは7月30日のことで、それから、もう5カ月以上の時間が経過しているわけですけれども、この間、26年半も在籍していた会社を辞め、転職の準備に追われる中で2週間に及ぶ入院生活を余儀無くされ、そして、転職後の会社で新規事業の立ち上げに向けて忙殺されたまま年末年始を迎えるという、実に、めまぐるしい展開が続いております。 こんな馬鹿オヤジの消息を心配して、何人かの方からメールを頂いたりしておりまして、本来であれば、もっ
技術の知識を身につけ,実践力を養ってくると,痛感するのは昔のことを知らないということ。多分,最近コンピュータ技術に関わり始めた人は諸先輩の話を聞いて同じ思いをしているのではないか。そこで,歴史上重要なコンピュータ関連技術や製品の開発者に「今振り返って,あの技術はどのような意味を持つのか」を語ってもらった。これから毎週水曜日に1本ずつ公開していく。 第1話 DOS/V --- 海外製PCで日本語表示を可能に 第2話 PC-98互換機 --- NEC独占に風穴を開けた 第3話 CD(Compact Disc) --- デジタル録音への転換を成し遂げた 第4話 CD-R --- CDとの互換性が最初の壁 第5話 QV-10 --- 「撮ってすぐ見る」新しい使い方を確立 第6話 PC-8001 --- 欲しいものを形にした“パソコン”登場 第7話 DynaBook J-3100 SS001 ---
1980~90年代,日本のパソコン市場で群を抜くシェアを誇ったNECのPC-98シリーズ。その登場以前は,電子デバイスグループが半導体の拡販のためPC-8001やPC-8801といった8ビットパソコンを開発・販売していた。パソコンの売れ行きが予想以上に好調なことから,NECはパソコンをコンピュータとして売るよう方向を転換。担当部署をメインフレームやオフコンを扱う情報処理グループに変更した。PC-98シリーズの企画やマーケティングを担当したのが,現在NECパーソナルプロダクツ PC事業本部マーケティング本部シニアエキスパートの小澤昇氏だった。 PC-9801を開発するための「N10プロジェクト」が始まったのは1982年4月のこと。社を挙げての一大プロジェクトだった。「1982年10月のデータショウに間に合わせなければ発表のタイミングがなかった。ハードにもソフトにもかなりの人数を割き集中的に開
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く