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実存に関するpj1200100のブックマーク (4)

  • 意識の水脈 - tapestry

    人と人の意識、あるいは魂、あるいは精神は、深いところの水脈でつながっている、という考えを1〜2年前あたりからよく耳にする。 おそらく何年も前から言われていることなのだろう。私がようやくその考えにアクセスできる状態になったのだと思う。 人と人は、どこか深い部分でつながっている。おそらくそれは正しいことなのだろう。目に見えないことだし実証は不可能なのだろうけれど。そのようなことを言う人は、さまざまな個人的解釈と個人的実体験から、あるいは学術的蓄積からそのように述べているのだろう。 その水脈は、おそらく死や生を超越したものなのだと思う。そこには夢や超常現象といったものが関わっているのかもしれない。そして、自然と神はそこに強く結びついているのだろう。鬼も天狗も天使もそこにいる。人の観念を介して。 特に主張はないけれど、そのような意識の水脈論を信じることは、私にとって”救い”に近いものだ。 目の前に

    意識の水脈 - tapestry
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    pj1200100
    pj1200100 2009/12/27
    Geist ohne Wurzel"視点を変えると創造に繋がる記号操作の前段階、道程との類似、それは創造性と表裏一体で、「前言語的なるもの」との格闘とも思えます"
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

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    pj1200100
    pj1200100 2009/05/23
    "信仰を持った人は、その人のキャパを越える問題を、信じる誰か(信仰の対象)に対して預けることができる。信仰を持たない人と比べて、まるで「メモリを増設」したかのようだ"
  • 晴れ - finalventの日記

    富士山が美しい。昨晩は早めに引きあげ、須賀敦子のを読む。なかなか読み進められない。読めないわけではないが、なんども読み返す。文体と思いのなかに深く沈むものがある。ああ、これが存在というものだと思う。森有正が経験と読んだものは、存在ではないかとしばし思う。存在は私とは分離できない、と言ってよいのかわからない。が、まず私というものがあり私は経験によって存在する。記憶ではない。そこが森の苦慮したところだというのがよくわかる。森はそこから名辞を語る。経験が名辞により、人の経験となる。イエスがいなければ愛の意味がないように、そこに人の経験がある、と。森はここで普遍にまた向き合う。そうしていながら、森は、こうした存在に向き合う自身が西欧の経験なくしてありえないことを知っている。須賀はそのようには語らない。だが、ほぼ同じ存在に向き合っている。これはいったいなんなのだろうと思う。二人ともそうした存在が普

    晴れ - finalventの日記
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