未曾有の疫禍が奪ったものは、患者の生命だけにとどまらない。長きにわたって人々に慕われた名店の数々も、無念のうちに廃業に追い込まれている。コロナ禍の最中に暖簾を下ろした老舗の胸中とは――。 コロナ自粛で増加中「闇営業」酒場から実況中継 *** 〈母と共に歌舞伎座へ入ると、先(ま)ず〔辨松(べんまつ)〕の五十銭の弁当を予約しておく。そのうれしさというものは少年の私にとって、まったく、 「こたえられない……」 ものだったといえよう〉 池波正太郎は『日曜日の万年筆』で、歌舞伎座前に本店を構える「木挽町(こびきちょう)辨松」についてこう綴っている。錚々たる役者や観劇客に愛された高級弁当販売店が、152年の歴史に幕を下ろしたのは4月20日のことだ。 「渋谷の“東横のれん街店”の閉店が決まった昨年の夏から廃業を決意していたんです。私は高齢ですし、後継者もいなかったので」 5代目社長の猪飼信夫さんはそう明