漱石は父・夏目直克が50歳、母・千枝が41歳の時に生まれた5人兄弟の末子で、金之助と名づけられた。 夏目家は江戸奉行支配下の町方名主だったが、すでに家運は傾きかけており、年の離れた末子の誕生は歓迎されなかった。そのため、金之助は生後すぐに四谷の古道具屋に里子に出された。しかし、がらくたと一緒に小さなざるに入れられて夜店に晒されているのを見つけた姉が不憫に思い、家に連れ帰ったというのは、文豪にまつわる有名なエピソードである。 ところが父・直克は娘の行いを喜ばず、翌年金之助を再び養子に出してしまう。しかも養父となった塩原昌之助は身持ちが悪く、たびたび女性問題を起こしたあげくに妻と離婚したため、金之助は9歳の時に塩原籍のまま夏目家に戻った。 金之助は成績優秀だったため、養父としては将来の出世が期待される子供を手放すのが惜しかったのだろう。塩原昌之助が夏目家への復籍に同意したのは実に漱石が21歳の