playback74のブックマーク (7)

  • 面白がる目・面白がれる耳 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    同じ映画音楽や物語や舞台を見聞きして、「面白い」という人と「面白くない」という人がいる…というのは実に「面白い」と思う。 例えば、今、音楽を担当しているNHKの大河ドラマ「平清盛」も、「面白い!」という人と「面白くない!」という人が混淆していて、その様々な視点が逆に興味深くも面白い。 私は(音楽をやっていることをヌキにして)「面白い」派。 古今東西の色々な元ネタ(それは源氏物語から最近のコミックスまで多岐にわたる)をまさに「遊びをせん」とばかりにシャッフルし伏線を張りまくる脚(藤有紀さん)は、群を抜いて「面白い」と思う。 その面白さは、古典などからの「歌取り」的な部分もかなり大きい。例えば、主人公の清盛が法皇の御落胤で(吉川英治の「新平家物語」)、白拍子の母から馬小屋で生まれ(キリストの出生)、母が死んだ場所で実の父である白河法皇と対面する(ギリシャ悲劇?)。 さらに、海賊退治の回

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  • ピアソラの20世紀 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    アストル・ピアソラの音楽を初めて聴いたのは、もう30年以上も前、私がまだ大学2年生だった1973年頃のことだ。 きっかけは高校の時に部活のオーケストラ(慶應高校ワグネル・ソサイエティ・オーケストラ)でヴァイオリンを弾いていた友人のひとりから借りたレコードだった。 そのヴァイオリンの彼は、高校のオーケストラではショスタコーヴィチの交響曲第5番を一緒に演奏した仲だったのだが、大学に上がってからはクラシックから離れ、なぜか「タンゴ研究会」のようなクラブに入ってタンゴの演奏を始めていた。 とは言っても、クラシックのヴァイオリンを弾いていた人間がいきなり即興でタンゴなど弾けるわけもなく、かと言ってタンゴの曲などというのがそうそうスコアになって売っているはずもない。そこで「作曲家を目指しているキミなら、レコードから楽曲をコピーしてスコアに出来るんじゃないか?」と、レコードを持って私のところに頼みに来た

    ピアソラの20世紀 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
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    playback74 2012/04/21
    ピアソラ タンゴ 20世紀
  • 音魂大全

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    playback74 2012/04/21
    ポップの世紀
  • 大塚英志・大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』

    大塚英志・大澤信亮 『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』 「なぜ敗れるか」などという表題の問題提起とはまったく別に、一読して伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』が頭に浮かんだ。 これは、伊藤自身がブログで告白していることでもある。 最近でも、ある雑誌(※1)の鼎談のなかで、伊藤は大塚のについて、「問題意識が近いところがいくつかありました」「〔伊藤の書いた『テヅカ・イズ・デッド』が――引用者注〕あと三ヶ月遅れていたらやばかったと思う」とのべている。 また、これも伊藤自身が告白していることだが、「結局、僕も大塚さんの『記号的身体の呪縛』や『アトムの命題』(徳間書店)を下敷きにしているわけなので、モデルが似るのは当然なんですね」と述べているように、既視感があって当たり前なのである。 ただ、結論からいえば、ぼくは、伊藤にない、非常に大事な点を大塚に見た。 大塚が日の戦後史を広く反映させた立論をし

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    playback74 2012/04/21
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  • 紙屋研究所 :: 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』 ふたたび

    伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』ふたたび 「ユリイカ 詩と批評」誌(2006年1月号)の特集「マンガ批評の最前線」は、事実上、伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』の特集になっている。また、「論座」誌(2006年2月号)の「特集・マンガはいま」も冒頭の伊藤・夏目房之介・竹熊健太郎の座談は、やはり伊藤の同書の意義を論じようとしたものだ。 だが、この(伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』)の漫画評論における意義がどのあたりにあるかは、これらの特集からは正直わかりにくかった。ただし、それは無意味な特集だったということではなく、「わかりにくかった」という意味であって、ぼくとしてはそれを考えるうえで、さまざまな刺激をうけた。 ぼくは『テヅカ・イズ・デッド』についてすでに感想を書き、大塚英志『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』との比較でも書いたが、いまこうした特集を読んでみて、自分なりに『テヅカ・イズ・デッド』

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    playback74 2012/04/21
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  • 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』

    伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』 書は、漫画表現論、あるいは漫画表現史の方法論であり、なおかつ、それ自体が一種の漫画表現史になっている(後述)。 内容の乱暴な要約――漫画のモダン=手塚にしばられるな 書の内容を乱暴にまとめると次のようになる。 90年代後半に「漫画がつまらなくなった」という言説が漫画評論家などのあいだでふえはじめる。しかし、それはそう言う評論家たちが、漫画に「人間」や「内面」や「物語」といった「モダン」なもの、もっといえば近代的なリアリズムを基準にみようとするからで、そうしたモダンなものがない漫画、ポストモダンな漫画が読めなくなったせいだ。 もともと漫画は、独特の存在感のある線の束で表現されるもの(キャラ)をもち、それが近代的な「内面」や「物語」をかかえこんであたかも実在の身心をもつかのような人間としてうけとられるようになった(キャラクター)。しかし80年代後半以降、「内

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    playback74 2012/04/21
    漫画表現論 伊藤剛 キャラ キャラクター 手塚治
  • ウォーホルから導くポップアート

    マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーなど、大衆社会のスターの写真をシルクスクリーン技法により再現し、キャンベルスープやコーラなど誰にでも入手可能なモチーフにほとんど手を加えることなく並べ立て作品にした20世紀の最も評価されるべきアーティストの一人で、ポップアートの代表的人物の一人として世界中でその名を知られているアンディー・ウォーホル。 その最大の功績は欧州を中心としたブルジョア的な芸術、すなわちハイアートを解体し、それに対するアンチテーゼとしてのプロレタリア的なアート、すなわちローアートの新たな地平を開拓したことだと言えよう。 以下にそのウォーホルを考察することでポップアートというものをおぼろげながらも浮かび上がらせていきたいと思う。ポップアート自体を考えるのではなく、ポップアートの申し子であるウォーホルについて考察することで、ポップアートの輪郭を描いていきたい。まずはその生い立ち

    ウォーホルから導くポップアート
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    playback74 2012/04/20
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