1 生没不詳の慶次 ―出生の秘密― 前田家の長子である前田利久は滝川家から妻を迎えており、一女が熱田の加藤隼人氏に嫁いでいます。利久には男子がいなかったので、弟の安勝の娘を養女として、妻の滝川一族から慶次を迎えました。慶次が滝川一族の誰の子かは不明です。 滝川家の一益(かずます/いちます)は織田信長に仕えた重臣で、慶次はこの一益の縁戚とされています。 ・滝川一益の息子 ・滝川一益の弟 ・滝川一益の甥 ・滝川益重の息子 ・滝川益重の弟 ・滝川益重の甥 ・滝川益氏の息子 と諸説あります。 ―死亡説― 諸説挙げればきりがありません。 米沢では慶長17年(1612)6月4日、堂森で死亡し、遺骸は北寺町一花院、あるいは堂森善光寺に葬られたと伝えられています。(享年70歳余)墓地は関興庵が管理していますが、墓は不明です。 加賀藩資料では、『奥州会津にて卒しぬ』とあります。 また大和刈布にて、慶長1