ブログ時評の団藤さんの考える「ネットジャーナリズム」とわたしの考える「参加型ジャーナリズム」の違いについて、団藤さんが「市民によるブログ運動に二つの方向」という最新のエントリーで解説されている。わたしの理解も団藤さんの解説とまったく同じなのだが、いい機会なのでわたしの考えを少し詳しく述べてみたい。 団藤さんが考えておられるように市民ジャーナリズムの中からプロをも凌駕するような質の高いジャーナリズムが増えてくることはすばらしいことだと思う。米国で一部ブロガーがプロのコラムニスト以上にすばらしい政治論評を続け高い評価を得ているが、団藤さんの考える市民ジャーナリズムはまさにこうしたものを指すのだと思う。 何度も言うが、それはそれですばらしいことだと思う。プロがジャーナリズムを独占するのではなく、広く一般の人が社会を変えるような言論活動に積極的に参加することが民主主義にとってどれだけすばらしいこと
はてなブログには、同じ話題でつながる「グループ」があります。まずはこちらの「2024年開設ブログ」に入りましょう。同時期に始めたブログとつながることができます。 「2024年開設ブログ」のグループ
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「私は無実潔白だ」、植草一秀氏を振り返る2005年08月03日09時40分 / 提供: 【PJ 2005年08月03日】− 「私は無実潔白だ」と銘打った植草一秀氏の8回連載が終了した。植草さんとはじめて会ったのは6月、マンスリーマンションなどを経営する (東京都・品川区) が、同氏を招いて開いた「2005年経済予測─世界経済と日本経済のゆくえ」のセミナー会場だった。そのときは講演の内容についてだけ、インタビューをした。記者の問いに対して真摯(しんし)な態度で応対している目の前の男性が、あの東京都迷惑防止条例違反の罪に問われ、東京地裁から罰金50万円と手鏡1枚没収の有罪判決を受けた経済学者なのかと、ふと感じたのを覚えている。 何事においても、自分の目で見て、耳で聞き、触って確かめたい。そんな思いが植草さんへの事件についての取材申し込みにつながった。たった1度の面識でありながら、同氏から取材
2005年08月03日 天照大神男神論 古代文献『ホツマツタヱ』で甦る日本人の自信 カテゴリ:楽天市場お勧め商品 だけど今回のことで真実感じました。 ヲチと称して、その対象に依存している人間がどれだけ多いかということにですよ。 それが無くては生きられない哀れな生命力の欠如した、自我の無い人間が どれだけ多いかです・・・寄生虫です。 ひとりでは何も言えない。自分が小市民的な感覚で、一般人的田舎もの的感覚で許せないことを、似たような同類に同意を求めて、そして合意を得てかろうじて安心する。 (田舎は怖いと、結婚して田舎に住むことになった親友にも聞いております。だんなも彼女同様出身は関東です。 あらごめんなさいね。あなたたちと同じように差別的になっちゃったかしら。(笑)) 自分よりも劣っていると感じる人間を常に捜し求めている魔物に成り下がっているのです。 そして彼らを蔑むことでしか自分を確かめるこ
「失望した」 こんな言葉を使うことはあまりない。 少なくともワタシの場合、記憶に残っている過去数年の間使ったことはない。 しかし、今度ばかりは失望している。 いわずもがな、ライブドアPJニュースである。 このところしばらく、ライブドアPJニュースとは関わらないようにしていた。 仕事が忙しいこともあったし、何より今後よい展開が望めそうにないと思ったからだ。 なので、記事自体しばらくの間全然読んでいなかった。 ワタシは何度かニュースセンターに、閉鎖されてしまった掲示板の復活やメーリングリストなどの方法でPJが情報交換できる場所を作ってもらえないかとお願いをした。 そして「メーリングリストは検討しています」という答えをもらった。 なので「では検討の経過をご都合のいいときにご連絡いただけませんか?」と頼んだ。 しかし、それは断られてしまった。 「どうしてですか?」と尋ねると「必要ないからです。」と
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