この番組が「真に迫る」ワケ 「下山国鉄総裁轢死事件」が起こったのは昭和24年(1949)のことである。 「下山国鉄総裁轢死事件」は、だいたい縮めて『下山事件』と呼ばれる。轢死事件と言い切るのも問題あるのだが、下山事件という呼称にも違和感がある。 昭和24年にはこの夏、この事件(7月6日死体発見)につづき、「三鷹事件」(7月15日)、「松川事件」(8月17日)と国鉄で立て続けに事件が起こる。 6週間のあいだに続けさまに起こったので「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」と3つ並べて呼ばれることになる。 それぞれきちんと呼ぶなら、下山総裁轢死事件(ないしは下山総裁死体断裂事件)、三鷹駅列車暴走事件、松川駅・金谷川駅間列車脱線転覆事件、であって、残り2つが地名なのに、「下山」だけは犠牲者名である。少し乱暴な感じがする。それがまあ、昭和20年代らしい荒っぽさだといえば、それまでなのであるが、この呼び名