【バンクーバー=山下昌一】12日(日本時間13日)の開幕まで1週間となったバンクーバー五輪で、日本人選手のメダルが期待されるフィギュアスケート会場の隣には戦前、日系人の強制収容所があった。 終戦から65年。華やかな五輪の装飾が施され、その過去を知る人は少ないが、収容を体験した日系人は五輪を歓迎しつつ、平和の祭典の意義をかみしめている。 バンクーバー市の中心部から東に約10キロ。広大な公園の一角に、今回の五輪でフィギュアスケートやショートトラックの会場となる「パシフィック・コロシアム」がある。 市図書館の所蔵資料などによると、バンクーバーの西海岸に住んでいた日系人約8000人が1942年の半年間、公園内の展示場や厩舎(きゅうしゃ)に収容された。前年に日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したのが引き金となった。当時は多くの日系人が漁師をしており、「海岸線の地形に詳しく日本側に協力する恐れがある」とカナ