違います。マタイ福音書の文章が処女降誕と誤解されて、 キリスト教の神話になった原因は、他の方が述べておられる様に 誤訳に端を発した誤解と ユダヤ人にとっての「聖霊」と言う言葉の認識違い があります。 ①マタイ福音書に書かれてる、παρθενος(パルテノス)は ヘブライ語の「若い女性」を示す「アルマー」のギリシャ語として 書かれた物であり(イザヤ書7/14の70人訳)、マタイの編者 は「処女」と言う意識を持っていない。 ②ユダヤ人の考えた「聖霊」は、その人に所在する「聖なる心」 の意味で、ギリシャ人が考えていた、人間とは別に存在する「霊」 ではない。 つまり、ここの文章(マタイ福音書1/18~20)は、マリアの「聖なる心」 によって、(誰かの)子供を宿したと書かれている物です。 >お父さんは誰? イエスは誰の子かと言う話は、キリスト教が出来たときから、 誹謗中傷の創作噂もあり、殆ど判明しま