11月15 テレビから「幸せ」を振りまいた森光子|日々是口実-164 カテゴリ:日々是口実2012 桂米朝は、森光子を「森みっちゃん」、藤田まことを「まこっちゃん」と呼んでいた。二人ともに、日本を代表する俳優になったが、芸人たちから見れば「仲間うち」だった。 このあたりが、同じ大女優でも山田五十鈴との違いだった。「先生」とよばれることはなかったのではないか。 嵐寛壽郎とは母同士がきょうだい。その縁で、映画にも出ていたが、二級作品が多く、映画女優としては成功しなかった。 その後、吉本興業の漫才師、芸人たちと同じ舞台に出演。地方巡業も経験している。 戦後、肺結核にもかかり、一度は芸能界を引退していたが、民放のテレビ放映を契機に復活した。 森光子が出世したのは、当時全盛期だった中田ダイマル・ラケットの出演するコント番組によく出演したのがきっかけだ。 股旅ものなどで、愛嬌のある娘役をしていた。色気