考え方に関するpoidowlのブックマーク (3)

  • 生存が絶望視された赤ちゃん、生命維持装置を外したあとで自力呼吸を始める

    米フロリダ州マイアミ(Miami)で、母親の手を握る赤ちゃん(2006年10月4日撮影、文とは関係ありません)。(c)AFP 【4月9日 AFP】カナダ・トロント(Toronto)の小児科病院Hospital for Sick Children (SickKids)は8日、生存の見込みがないとされた生後2か月の女の赤ちゃんが、生命維持装置を外されたあとで自力で呼吸を始めたと発表した。 生後2か月のカイリー・ウォレス(Kaylee Wallace)ちゃんは、先天的に脳に障害があり、生命維持装置がなければ呼吸ができない状態だった。 両親は、同じ病院に心臓移植を必要とする赤ちゃんがいることを知り、わが子の心臓を提供することを決意。生命維持装置を外した。ところが両親は、「カイリーちゃんが自力で呼吸を始めた」ことを医師から告げられることになる。 病院は8日朝会見を開き、カイリーちゃんの容体は安定し

    生存が絶望視された赤ちゃん、生命維持装置を外したあとで自力呼吸を始める
  • 対人スキルの基礎となるレベル別「空気」の読み方|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    最初に断わっておくけれど、ぼくは空気読みを偏重する世の中を好まない。 ・「空気読め」 空気なんて読めなくても快適に暮らせる。その程度には寛容な社会になればいいと思う。空気を読めない人間が何か迷惑をかけたなら、それは迷惑だと怒ればいい。誰かが不快な思いをしたら、その言動は人を不快にすると忠告してやればいい。もちろん、あなたに誰かを教育する義務はない。空気の読めない人間を見下したり、常識のない奴だと切り捨てるのも自由だ。その代り、自分が見下され切り捨てられることを進んで受け入れられるなら、だ。あなたを含め、完全に空気を読み切れる人間はいない。コミュニケーションの不完全性については、今さらいうまでもないだろう。 けれども、空気が読めないことを我がこととして真摯に考えられない鈍感な人間というのはいる。自分は読めていると慢心しているのかもしれない。だから、そういう人たちに関わらざるを得ないとき、少し

  • とあるインド人の教育論

    目に留まったコラムがあったので急ぎ訳してみた。かなり意訳しているので英語を読まれる方は原文にあたられたい。 「一人一人が自律した社会を手にするための唯一の道(としての教育)」 (It is the only way to have an empowered society) 寄稿者―ヌズハト・フサイン(著者はナショナル・ブック・トラストのディレクター) 私の曾祖母はおそらく教育を受けていません。彼女には四人の娘がいましたが、息子はみな早くに世を去り、土地も一切ありませんでした。当時は、土地と息子を「社会的な安全の担保(social security)」とみなす固定観念が世間に広まっていましたから、曾祖母夫婦としては、それがないのを気にしていたに違いありません。彼女が確固とした先見の明を持っていた人なのか、それとも深い絶望から決意を固めたのか、私にはよくわかりません。でも彼女は娘を学校に通わ

    とあるインド人の教育論
    poidowl
    poidowl 2009/03/12
     後押しとしての教育、ということを考えさせられます。
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