遙から 最近、死者の弔い方について自問自答することが多い。それくらいこの冬は、ご高齢から働き盛りに至るまでの同業者の方々の葬儀に幾度も出向いた。 同業者の親の葬儀ではない。同業者本人の葬儀だ。 皆、年を取る。私もまた なんとかお通夜だけでも、という参列の仕方から、じっくり出棺を見送るまで、という名残惜しい別れがあったり。 余談だが、冠婚葬祭などで久しぶりに歳月を経て出会う顔ぶれには、ある種の高揚を覚える。定年を機にいっせいに現場から姿を消す企業人などがまさしくその例だ。私が新人の頃には、部長や局長、取締役などの役職についていた人がそこに揃う。当時、テレビ局のロビーを闊歩していた面々だ。 「頼むよ」と私の肩をバンと叩いた、そんな、自己アイデンティティーと組織が一体化した時代の男たち。 彼らは皆、それぞれに、ちゃんとした後期高齢者となってそこにいる。 焼香の列に並ぶ間、声をかけてみる。 「お久