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2011年8月2日のブックマーク (6件)

  • 英誌、欧米「日本化」をやゆ…決断嫌がる政治家 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    【ロンドン=大内佐紀】英誌エコノミスト最新号は、オバマ米大統領やメルケル独首相ら米欧の指導者が、財政再建など痛みを伴う決断を避け続けていることで、「日化している」と批判する巻頭記事を掲載した。 表紙には、米ドルを象徴する緑色の着物姿のオバマ氏、「ユーロ」と書いたかんざしを付けたメルケル氏を描いた風刺画。記事は、「債務、デフォルト(債務不履行)、麻痺する政治」で「日化」が進んでいる、との見出しで、「決断をいやがる政治家が問題の根元と化し、景気後退の要因となるような行動をとっている」とやゆした。 記事は、現在欧米で進行中の経済危機は「(バブルが崩壊した)20年前の日で起きたことの再現だ」と警鐘を鳴らした。その上で、「待てば待つほど方向転換が難しくなるのは、日政治家が身を以て示した教訓だ」と指摘して、欧米指導者に決断と行動を促した。

  • asahi.com(朝日新聞社):避難所出た途端、独り 「孤族の国」3・11から―5【全文】 - 孤族の国

    避難所出た途端、独り 「孤族の国」3・11から―5【全文】2011年7月31日21時56分 日が暮れる頃、避難所近くの仮設住宅を訪ねた岩波政美さん。自身は「知り合いもいないから」とアパートへの入居を決めた=福島県郡山市、仙波理撮影 「山一つ越えれば、こうも気候が違うのかね」 福島県中部の大玉村で、県内最大規模、630戸の仮設住宅の一室に暮らす小薬(こぐすり)栄次さん(62)が、エアコン全開の車に乗り込む。 阿武隈の山並みを左に国道4号を南へ。その向こうが自宅のあった富岡町だ。「浜通りの夏は涼しくて住みやすかったんだけど」 45分後、車は郡山市の「ビッグパレットふくしま」についた。福島第一原発の事故で、町民が役場ごと移った避難所だ。 顔なじみが集うホールの一角に腰を下ろす。「3カ月もいたからかなあ。やっぱ、落ち着くんだよねえ、ここが」。テレビに目をやりながら、独りごちた。 仮設住宅に移って1

  • asahi.com(朝日新聞社):心帰る場所流され「孤族の国」3・11から―4【全文】 - 孤族の国

    心帰る場所流され「孤族の国」3・11から―4【全文】2011年7月28日22時8分 実家に帰った鈴木重光さん。築100年を超す蔵は地震でひび割れし、近く解体される。幼い頃いたずらをする度に罰として閉じ込められた=福島県いわき市、仙波理撮影 眠れぬ夜が続く。 ネイルサロン開設の夢に向けて、4月から簿記を学び始めていたのに。東京都足立区の阿部明奈さん(27)は、医者の勧めで5月半ばから休んでいる。 東日大震災の10日後、故郷の岩手県大槌町に息子(5)と娘(4)を連れて入った。祖母や兄の連絡が途絶えていた。 実家があるはずの場所にあったのは、見覚えのあるれんが造りの土間だった。玄関だ。土台の枠しか残っていない家を、記憶を頼りにたどる。ここは茶の間、ここはおっかぁの部屋。 がれきを前に泣いた。 ■ 「おっかぁ」とは、祖母のソヨさん(77)のことだ。両親が離婚し、代わりに自分を育ててくれた。 高校

  • asahi.com(朝日新聞社):避難の母 支えきれなくて 「孤族の国」3・11から―3【全文】 - 孤族の国

    避難の母 支えきれなくて 「孤族の国」3・11から―3【全文】2011年7月25日22時15分 仮設住宅で独り暮らしをする太田和子さん。必要最小限の生活用品しかない部屋で、趣味の手芸をして一日を過ごすことが多いという=宮城県石巻市、仙波理撮影 また、泣いている。背を向けて、声も出さずに。 宮城県石巻市の実家が津波で流され、東京都江東区の小林真智子さん(52)のマンションに身を寄せた母の太田和子さん(77)は、部屋にこもって縫い物ばかりしていた。「東京にいたら何もすることがない。死ぬの待ってるだけだ」 母に合わせ、生活時間帯も、事も変えた。出かけることもできない。なのに――。つい言葉がきつくなり、自己嫌悪に陥った。 震災前は、認知症の父(84)を母が世話する「老々介護」の状態だった。ベッド脇に便器があり、そこで父は事をする。母は夜中に何度も起こされる。そんな生活がいつか限界を迎えることは

  • asahi.com(朝日新聞社):細る開拓地 外国人妻涙 「孤族の国」3・11から―2【全文】 - 孤族の国

    細る開拓地 外国人涙 「孤族の国」3・11から―2【全文】2011年7月24日23時20分 がらんとした牛舎に、牧草や牛ふんの甘くすえた臭いが漂う。 原発で 手足ちぎられ 酪農家 壁の黒板にチョークで書かれた「辞世の句」が、消されずに残っていた。 福島県相馬市の副霊山(ふくりょうぜん)地区で、酪農を営む男性(54)が自死したのは先月。携帯電話の電波も途切れる山あいの農場に、小1と幼稚園児の2人の息子を抱えた(33)が残された。 小柄で目がくりっとしたフィリピン国籍のは、自分を責め、家にこもっていた。「私がそばにいたら、死なずに済んだかも」と。 夫の死を知ったのは、ルソン島の実家へ一時帰国している時だった。原発事故後、フィリピン政府の呼びかけに応じ、子供を連れて避難していた。 「農場再開のめどが立たないんだ」。夫とは、数日前に国際電話で話したばかり。息子の手を引いて成田空港に降り立ち、

  • asahi.com(朝日新聞社):集落解散 消えるつながり 「孤族の国」3・11から―1【全文】 - 孤族の国

    集落解散 消えるつながり 「孤族の国」3・11から―1【全文】2011年7月24日22時20分 管理人として住み込むリゾートマンションの最上階から太平洋を眺める佐藤俊一郎さん、芳子さん夫=静岡県熱海市、仙波理撮影 孤族の国と震災 6月半ばの昼下がり、神奈川県のJR小田原駅ホームで一人、電車を待っていた佐藤芳子さん(53)の携帯電話が鳴った。 ふるさとの宮城県石巻市にいる友達からだ。 心が弾んだ。 それなのに、涙で声が出ない。津波で壊滅した故郷を出て2カ月余り、寂しさが抑えきれない。「せっかくかけてくれたのに、ごめんね」と電話を切った。 その日から、「また泣くだけかも」と思い、電話に出られなくなった。 夫の俊一郎さん(53)と2人、石巻の漁師町・雄勝町から静岡県熱海市へ移った。家も仕事も失う中、東京で暮らす長男の勤め先がリゾートマンション管理人の住み込みの仕事を紹介してくれた。「自分たちは