タグ

ブックマーク / webrog.blog68.fc2.com (1)

  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「謝罪」、責任をきちんと認めるということ -中尾知代『日本人はなぜ謝りつづけるのか』について-

    中尾知代『日人はなぜ謝りつづけるのか』を読む。 以前、日英和解の記事が話題になって、それで書を再読した(二度目)。 タイトルはアレだが、いたってマトモな。 こちらの書評が一番丁寧である。 気になったところだけ。 ある捕虜の未亡人について(39頁)。 彼女の夫は、捕虜時代の後遺症で次々に病気を発症した。 そのため、彼女の人生はほとんどが、病院通いと介護で費やされた。 しかし、病院費用の領収書を持って行政の福祉課を訪れても、相手にもされなかった。 こうした死亡者リストに入らずに存命した者でも、多くの者が心身衰弱の後遺症で早世している。 そして著者は思い出す。 母校の高校の恩師でシベリア抑留の経験者が、ふとした風邪で早世してしまったことを。 「一度徹底して痛めつけられた身体は、外見からはわからない後遺症を抱える」。 「捕虜」の問題とは、戦争終結で終わっているのではなく、戦後の後にも続いてい

    pollyanna
    pollyanna 2012/08/28
    『「謝罪」というのは、行為主体としての責任を認めることによって、新たな関係を開いていくポジティブな行為である、と一般的にはいえる。』
  • 1