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ムスリム名がハサンとして知られる知識人・中田考さんの痛快本。 通り一遍で流し読めば、イスラーム通の資本主義批判本のようにも感じられますが、いや、この本は面白いですよ。まずは第一章だけでも読んでください。 Amazonはこちら 楽天ブックスはこちら まず、冒頭に私たちはなぜバカであるかが解説されています。論旨明快。ああ、確かに私はバカです。本当に申し訳ございません。また、私たちの身の回りに、どうしてこうも自己啓発の類が多いのか、自己憐憫のような「あなたはそのままでいい」「頑張れば夢は叶う」という無責任な言説があふれる英るのかが解説されています。”所詮ミミズはどんなに頑張ったってヘビにはなれないんだから、カエルに挑もうなどと途方もないことを考えず、お前はミミズにすぎないという自覚を持て”とか言われます。あっ、はい。強烈なアンチテーゼなのですが、つまりは世の中には「分を弁えないバカ」が多いからこ
0002名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 18:35:46.31ID:Y4t6vvnt 立ったか この人よく知らんけど 就活ぶっ壊せデモの人なんだよな? 借金玉スレの書き込みによれば 0003名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 18:40:11.53ID:ARw+iktL えらてんはぱっと見で借金玉の同類のクズだと思ったけど 出て来た情報見る限り なんだかガチの精神疾患っぽいからなあ まあ無治療の糖質だとしたら別なヤバさがあるわけだけど 0004名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 18:43:02.59ID:Y4t6vvnt どういう系統の人か知らないけど 6万の物件の立ち退き求められて230万取るってのは穏やかじゃないよ 0005名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 19:21:14.49ID:AM6/B1dF 借金
毎回、この季節になると、書かなければならない、書かなければならないと思いながら、結局書くことができずに2年、3年が経った。 なぜ書けないのか?事情が複雑に入り組み、利害関係者が多く、そしてその利害関係者の存在の根本に関わることだから。記憶が混濁し、整理がつかず、留保つづけなければならなかったからだ。 えらいてんちょう、とグーグルでエゴサーチしてみる。「えらいてんちょう 正体」と出る。情報を掘っていくと、わたしが「自称宗教家」であることにいきつく。隠すこともないし、あえて大声でいうこともない。 6年前の2012年1月22日に、21歳だったわたしは「唯一神からのメッセージを受け取った」と宣言して、宗教集団を形成し始めた。いや、宗教集団というほどのものではなかったかもしれない。事実上およそ4年程度の「宗教活動」のなかで参画した「信者」は、多く見積もっても、累計15人程度でしかなかった。そして、継
2017年7月17日 『帝国の復興と啓蒙の未来』出版記念講演 イベントバー・エデン 「どうなるイスラーム国消滅後の世界?」 中田考 発表レジュメ 啓蒙: 人類と世界史の誕生 世界宗教の誕生:仏教、道教、儒教、キリスト教、イスラーム イスラームにおいて真の普遍的宗教の概念が生まれる(dīn) アッバース朝によるイスラーム文明を地理的中心とする西欧、東欧、インド、アフリカ、中国をつなぐ世界ネットワークの形成 アッバース朝のネットワークを継承したモンゴルによるパクス・モンゴリカの時代 イル・カーン国、キプチャク・カーン国、チャガタイ・カーン国のイスラーム化 (イラン文明、ロシア文明、インド文明にイスラーム文明の刻印) イル・カーン国宰相ラシードゥッディーン(1318年没)『集史』=最初の世界史 2.現代: 文明の再編 19世紀=西欧による世界支配 20世紀=西欧の自滅米ソによる破産処理ソ連の崩壊
イスラーム国訪問記(3) ISIS(イラクとシャームのイスラーム国)は、2014年6月末、「イラクとシャームの」を国名から外し、「イスラーム国(al-Dawlah al-Islamiyah, Islamic State)」と改称し、自分たちの「イスラーム国」が「イスラームのカリフ制(al-Khilafah al-Islamiyah)」であり、指導者のアブー・バクル・バグダーディーが世界中の全てのムスリムのカリフであると宣言した。 ISISだけでなく、ヌスラ戦線をはじめ、シリアで戦うサラフィー・ジハード主義者の多くは、1924年にトルコ共和国が廃止したカリフ制の再興が目標であると公言している。サラフィー・ジハード主義者とは、クルアーンとスンナの法規定を施行しない為政者を背教者と断じてジハードによる打倒を目指すスンナ派イスラーム主義反体制武装闘争派のことだ。 前回の訪問でもウマル・グラバーゥ師
イスラーム国訪問記(2) 2014年3月イスタンブール、ガズィアンテップに所用があり、またシリアに足を伸ばすことにした。主な目的は、ISIS(イラクとシャームのイスラーム国)がアル=ラッカでキリスト教徒に対して改宗か死か、と迫って、イスラームへの改宗を強制し、ジズヤ(人頭税)を課してているとの欧米のメディアの報道の検証だった。 そこで前回、シリアで世話になったトルコとシリアの越境担当司令官のウマル・グラバーゥ師を訪ねたのだが、実はウマル師はISIS潰しのためにサウディアラビアの後押しで作られたイスラーム戦線に支配地を奪われ、家、農地、車など全ての財産を失い着の身着のままでトルコ側に脱出し、アンタキヤの隠れ家に潜伏中だった。 アンタキヤでは、イスラーム系NGOダール・アズィーザの代表の立場で、シリア難民が運営する「フダ-・モデル小学校」を訪ね、日本からの寄付を渡してきた。この希望する子供は誰
「イスラーム国訪問記」(1) シリアへはエジプト留学時代以来何度も訪問しているが、これまでは首都ダマスカスにしか行ったことはなかった。ダマスカスを訪問の目的はウラマーゥ(イスラーム学者)たちとの意見交換が目的だった。ダマスカスで会ったウラマーゥの中には、前シリア・アラブ共和国最高ムフティー(イスラーム教義諮問官)故アフマド・クフタロー博士、現代アラブで最高のイスラーム法学者とみなされているワフバ・ズハイリー博士、アサド政権の御用学者としても知られた故ラマダーン・ブーティー博士、そして そして知る人ぞ知るジハードに関する研究に於ける現代イスラーム学の最高峰『シャリーア(イスラーム聖法)に基づく政治に於けるジハードと戦闘(al-Jihād wa-al-Qitāl fī al-Siyāsah al-Shar’īyah)』の著書ムハンマド・ハイル・ハイカル博士もいる。 中でも前シリア・アラブ共和国
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