宗教は人間によって使用される道具の一つである。 したがって、他の道具と同様、 その中に欠陥が含まれている場合、 その欠陥は速やかに除去されなければならない。 そして、明らかに欠陥が含まれているにもかかわらず、 その宗教の内部の人間たちがそれを放置している場合、 外部の人間はそれを批判する必要がある。 何らかの宗教の外部にいる人間による、 その宗教に対する批判は、 そのすべてに意味があるとは限らない。 道具としての欠陥についての批判には意味があるが、 欠陥とは言いがたいものについての批判は無意味である。 佐藤哲朗さんは、 「仏陀は再誕しない」*1というブログエントリーの中で、 幸福の科学が製作した 「仏陀再誕」というプロパガンダ映画について、 次のように述べている。 「仏陀(ブッダ)が再誕する」ということはありえない話です。 仏陀は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・天(欲天+梵天)という 輪廻の世界
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