私がカルト宗教という問題に取り組んで早いもので十年になります。その間、宗教や信仰の問題についての相談を随分受けてきました。 以前、地域の集会で講演を依頼されたことがあります。そこではとある新宗教の教団施設の建設の予定が明らかになり、地域住民の人達が反対運動に立ち上がったのです。私が日本で起きているカルト問題の概略や、そもそもカルトとは何かという講演をしたあとに、集まった人達による議論が始まりました。代表者の方の「あんなカルトを街に入れる訳にはいかない」という言葉の後に、挨拶に来た教団職員の目つきがおかしかったとか、服装が変だとか、マインドコントロールされているという意見が言われました。 その教団に懸念すべき点が無いとはとても言えませんが、特に何か事件を起こしたわけでもなく、ここ最近で言えば社会的に問題となるような活動も見受けられません。しかし住民の皆さんの議論を聞くと、悪く言えば「異質な人
これまで「和魂漢才」と「和魂洋才」で生きてきた日本人。グローバル化が急速に進む中で、日本人はあらためて「日本文明とは何か」「日本人とは何か」を問われている。これからの時代を生き抜くために、日本人に求められる教養とは何か――。 宗教学者の山折哲雄氏が、有識者との対談を通して、日本人の教養を探る。 ※ 対談(その1):教養の出発点は、「日本人とは何か」 対談(その2):日本人の「心イズム」とは何か? 対談(その3):西洋に深い影響を与えた、日本人リーダー 科学技術の世界に宗教界が何を言うかが、問われる 山折:やっぱり今、科学技術が非常に発達してしまった時代だから、その科学技術の世界に対して宗教界が何を言うか、宗教者が何を言うかがものすごく問われている。 私はよく科学者に問いを突きつけるんです。いやらしい問いを。 私は生命科学の最先端の分野で話題になっている遺伝子というものを、一度も実感したこと
おはようございます。 もう40年も昔のことですが、私の父方の祖母が、72歳で亡くなりました。59歳の時に脳溢血で倒れ、それ以後亡くなるまで13年間寝たきりでした。私の3才の時に倒れ16歳の時に亡くなった訳です。16年一緒に暮らしましたが、私は、祖母が元気に歩いていた記憶はなく、寝た切りの祖母しか知りません。今と時代が違いますから、私の母が、姑である祖母の面倒を食事から下の世話まで、ほぼ付きっきりで介護していたと思います。確かに世話をした母親は大変であったと思いますが、私からみた祖母は、とても大切な存在でした。親に叱られて居場所がないとき、私には強い味方がありました。祖母です。寝たきりであることが有難かったのです。いつも座敷で寝ていましたから、その座敷に逃げ込めば、親にそれ以上叱られることはありませんでした。また、私は、風邪で発熱して時々学校を休みましたが、二日も寝ていれば熱は下がり元気に
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
シッダータが悟りを開いたとき、その悟りの内容は深遠で、おそらく誰にも理解できないだろうから、死ぬまで誰にも話さずにおこうとした。 しかしそのとき梵天王(バラモン教で説く宇宙の創造神、マハーブラフマン)が現れて法を説くように勧めた。これが有名な「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」である。 仏蹟の壁画や、レリーフなどのテーマに、梵天勧請は好んでもちいられている。 もともと仏教では神の住む天上界も一種の迷界であり、神もまた仏陀によって教化されなければならない存在であった。 迷いの存在というのは、自己中心の矮狭な世界観を持っているために、この世界のほんとうの相(すがた)が見えないもの、という意味である。 だから神は同じ迷いの存在である人間からの、自己中心的な祈りに応えてしまうのだ、とされている。 この神も迷っている、救われるべきだという考え方は非常に興味深い。 仏教は「悟りを開く」などという表現から
5.「中央仏教学院通信教育部専修課程」のこと 一見安易そうに見える「中央仏教学院通信教育部」での宗門に関する勉学は、想像を超えて厳しかった。大量に送られてくるテキストと、何科目にもわたるレポート課題。全科目必履修・必修得。通信教育であるのでスクーリングがあるのだが、それが1回につき連続3日で、京都または富山での受講。おまけにスクーリング時に特定の科目の筆記試験、実技試験が行われたのである。卒業までに修得しなければならない科目は、 ・宗教(1・2・3年次) ・仏教(1・2・3年次) ・真宗(1年次) ・真宗Ⅰ(2・3年次) ・真宗Ⅱ(2・3年次) ・仏教史(2・3年次) ・真宗史(2・3年次) ・寺と教団(1・2・3年次) ・伝道(1・2・3年次) ・おつとめ(1・2・3年次) の24科目であった。 おかげで、通常3年間で卒業のところ、5年間も要してしまった。教員としての業務を最優先させる中
「勝興寺『寺宝展』—源氏物語へのいざない—」(富山・北國新聞社共催)は二十五日、高岡市伏木古国府の重文勝興寺で開幕した。加賀藩や公家の名門鷹司家との絆(きずな)の深さを示す品々の展示に大勢の来場者が目を凝らし、寺の歴史的価値に思いをはせた。 この日は朗読会も行われ、来場者が五感を通じて源氏物語の世界に浸った。源氏物語の「夕顔」の巻をテーマに、小谷晃子さんの琴演奏に合わせて藤間香寿富社中が日舞を披露、滝沢卓さんのシンセサイザーを交えて金沢を拠点に活躍する本田和さんが、与謝野晶子による現代語訳の「夕顔」を朗読した。 勝興寺には加賀藩前田家や京都・本願寺、公家から輿(こし)入れし、寺宝として残る調度品は勝興寺が浄土真宗本願寺派の有力寺院だったことを今に伝えている。本堂には加賀藩から勝興寺の住職に輿入れした際の婚礼道具が展示され、来場者が勝興寺と加賀藩の絆を感じ取った。 婚礼道具は加賀藩三代藩主前
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この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年4月) カヤカベ教(かやかべきょう)は旧薩摩藩の隠れ念仏信仰から派生した秘教の一派の俗称。鹿児島県霧島市の一部(旧牧園町、横川町)に分布する。 牛乳を飲まない小学生[編集] 通称「カヤカベ教」といわれる秘密の信仰集団が世間の注目を浴びたのは第二次世界大戦後のことである。調査を行った元龍谷大学学長、千葉乗隆が五木寛之に語ったところによると、鹿児島県旧牧園町の小学校で給食の牛乳をどうしても飲まない児童がいた。不思議に思った担任の教師が家庭に連絡すると、保護者は自分たちの宗派では、日によっては牛乳を飲まない習わしであると答え、日本では珍しい食物タブーを持つ集団の存在が浮かび上がったという。これを機に1964年(昭和39年)、龍谷
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