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ブックマーク / koshian.hateblo.jp (2)

  • 「ここにいてもいい」から「ここにいる」へ - 狐の王国

    エヴァ、新旧のファンの違いについて庵野インタビューという記事。 新世紀エヴァンゲリオンというアニメ作品については、俺にも並々ならぬ思い入れがある。まだ若かった17年前の自分を引きこんだあのアニメは、良くも悪くも時代を象徴しすぎていた。 90年代初頭。崩壊したバブル経済のなか、辞書ほどの厚みがあるアルバイト情報紙が1年で平綴じになった。まだ100円ショップも激安スーパーもなく、バブルの遺産のような成金趣味がまだちまたに溢れていた。薄っぺらいアルバイト情報紙を見ては始業と同時に電話をかけ、「もう締め切りました」の言葉を聞くような時代だった。 女子高生ブームだの援助交際だのが言われはじめた95年、新世紀エヴァンゲリオンは放送された。 暗い時代だった。景気も悪いし、インターネットも個人向けサービスが始まったばかりで接続してる人は少なかった。秋葉原は駅前で白装束の謎の集団が不思議な踊りを踊っていて、

    「ここにいてもいい」から「ここにいる」へ - 狐の王国
  • 日本人の同質性はもっと叩かれるべき - 狐の王国

    友人とちょっと話してて、最近すっかり忘れてた問題を思い出した。 日人って自分と違う人を珍しがるよね。 あのな、俺たちゃ珍獣じゃないんだよ。お前らに珍しいものが来たとパンダみてーな扱いされるために生まれて来たわけじゃねーんだよ。 だいたいてめーにとって珍しいからって世界的に珍しいわけじゃねーだろ? 俺みたいなやつは世界中ごろごろいんの。パンダほど希少種じゃないですから。 要するにあれだ。俺がもの珍しく見えるってのは、てめーの世界の狭さを示してるんだよ。そんなに狭い世間で生きて来たこと告白しなくていいですから。 いやでも理解は出来る。だって日人って同じような人ばっかだもん。そりゃちょっとはずれただけでパンダみたいに珍しがりたくもなるよな。 けどおまえにとってはごく希なイベントでも俺にとってはほぼ毎回あるイベントなわけで。 いい加減飽き飽きするっつーの。いやそのネタお前が考えたのかもしれない

    日本人の同質性はもっと叩かれるべき - 狐の王国
    polynity
    polynity 2009/07/21
    俺も、プログラミングができなかったら、どこにも居場所がなかったかも。特殊なメンタリティーの人間でも受け入れてくれるのが、プログラミングの業界のいいところ。
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