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gurenekoに関するpolynityのブックマーク (8)

  • 『魔法少女まどか☆マギカ』全話視聴計画(劇場版前編・後編) - gurenekoのメモ(終活中)

    「今日は早く帰れたな。」と思いながら来年公開の映画の前売り券を買いに某映画館に寄ると、劇場版『魔法少女まどか☆マギカ』(http://www.madoka-magica.com/)の前後編連続上映が始まる直前であった。こうなるともう後戻りは出来ない。一気に観て深夜に帰宅という運びになった。 因みにテレビ版初見時の感想はこちら(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20120618/1340029406・http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20120619/1340107215・http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20120620/1340200870・http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20120623/1340447502)。事態を収拾させる究極の願いをほぼ完全に言い当てた点は少々自慢で

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  • ビグ・ザムの戦力の検証(宇宙要塞防衛戦限定) - gurenekoのメモ(終活中)

    1/400 ビグザム 出版社/メーカー: BANDAI SPIRITS(バンダイ スピリッツ)発売日: 2005/08/28メディア: おもちゃ&ホビー クリック: 128回この商品を含むブログ (10件) を見る ビグ・ザムの戦力については、様々な見解が存在している。 来の用途である大気圏内の要塞の攻略戦に使用されていれば、冷却し易かっただろうからもっと強かった筈だ、という声は多い。これについては特に目立った異論はない。 しかし実際の運用法であった宇宙要塞の防衛戦における戦力については、作中世界においてすら、リック・ドム十機に劣るというテレビ版のドズルの見解と、二〜三個師団の戦力になるという映画版のギレンの見解とが、対立している。そしてこの二つの見解を典拠に、現実世界でも論争は行われている。 二人の見解は、どちらもソロモン防衛戦の前になされたものである。そして実際の戦いでは、ビグ・ザム

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  • すっかり忘れていた、三度目の「真の近現代史観」懸賞論文 - gurenekoのメモ(終活中)

    過去に私は、アパグループの「真の近現代史観」懸賞の初回と第二回に際して、最優秀賞を獲得した論文を二回とも批判したが(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20081107/1226009194・http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20091122/1258875769)、今年は第三回の事をすっかり忘れたまま年末を迎えてしまった。 遅まきながらこのページ(http://www.apa.co.jp/book_report3/2010japan.html)の西暦2010年12月29日14時頃の記述を読んだ感想を書こうと思う。 まず冒頭の「遺骨収集を始めたきっかけ」の章の第一段落で早くも躓いた。「私は大東亜戦争で戦死された日軍将兵の方々の戦没者のご遺骨を9年間お迎えし続けてきた。」の解釈に苦しんだのである。戦死されているのが前提なら、態々「

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  • 「無神教」・「確率教」・「不可知教」が在っても良いと思う。 - gurenekoのメモ(終活中)

    無神論者の多くは、自己の奉じる教義に自信が有りすぎるせいか、それを「宗教」とは見做さない傾向が強い。また異教に寛容な有神論者の多くも、無神論だけは宗教ではないと見做す傾向がある。 果たして無神論はそんなにも特殊な立場なのだろうか? 例えば、理神論と無神論の教義の違いは、当にキリスト教と日神道の教義の違い以上のものだろうか? また「神はいる」事を万人に納得させる証明が無いのと同じく、「神はいない」事についても証明は不可能である。最終的には賭けの要素が入ってくる。 裁判等では立証責任をどちらかに課さなければならないが、互いに自己の教義を奉じて住み分けが出来る宗教界では、一方を滅ぼす必要は無いだろう。 無神論者の中の謙虚な人達が、「自分達は、神はいないという証明不能の命題を、自己または尊敬する先達の直観力への信仰に基づき、信じる。」と言って宗教団体を作り、布教と同時に異教との対話を進めていけ

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  • 「偽経」のススメ - gurenekoのメモ(終活中)

    ある伝統的宗派の信徒のサイトで、禅宗が「邪宗教」呼ばわりされていた。興味を持って読み進めると、その理由は禅宗で重視されている経典が中国で作られた可能性の高い偽経だからとなっていた。 しかし皮肉な事に、その人が信じている宗派で使われている御経も、インドで作られたものではあるものの、釈迦入滅後相当の歳月が経過してから作られたものである事が定説のものであった。 仏教の定義の範疇をどこまでにするかは個人の自由であるし、どの御経が真理に最も近いのかの判断は各人の宗教観に任せるしかない。理知的な探求が寄与出来るのは、その各人の選択の際の参考資料を増やす所までである(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20091027/1256637455)。だからそのサイトを紹介して叩くのが稿の目的ではない。 だが私は私で主張する。まず第一に「中国で作られたとされる御経は、偶然他の地

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  • 『カティンの森』を観た。 - gurenekoのメモ(終活中)

    映画『カティンの森』(http://katyn-movie.com/pc/)を岩波ホール(http://www.iwanami-hall.com/)で観てきた。題名通り、カティンの森事件とそれを告発出来なかった時代とを告発した映画である。 時間帯や場所等を考慮に入れても、御年配の観客が妙に多いと感じた。冷戦時代に、ソ連への評価を決定的に左右する極めて重要な問題として、「やったのはどっちだ?」と調べ続けていた人達なのかもしれない。 映画の中では、ポーランド市民がソ連占領下・ドイツ占領下・独立後という三種類の地獄で延々と苦しみ続けていた。 一番悪いのは当然スターリンであり、またそれで済ませてしまう事は道徳問題としては一向に構わないのだが、この事件からはもっと多くの教訓を引き出せる。 まずポーランドを滅ぼす際に目先の利益のためにスターリンと組んでしまったヒトラーにも問題がある。後年ソ連はカティン

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  • メリットは何ですか? - gurenekoのメモ(終活中)

    梁恵王「遠路遥々ようこそ。利益をもたらす政治思想を教えに来てくれたのですか?」 孟子「どうして『利』と言ってしまうのですか?王が利益を追求していたら、重臣である大夫もそれを真似、陪臣である士や果ては民衆までもがそれを真似るでしょう。古来より利益を目当てに王を殺すのは大夫、大夫を殺すのは士と決まっています。これからは『利』ではなく『仁義』と言いなさい。」 これが『孟子』の最初の話である。 これを読んだ人の中には、単に孟子の頭の固さを笑い、「彼は戦国の世に求められている思想を展開出来なかった。」だの「『剥き出しの功利主義を秘伝にすれば下克上を防げる。』と言えば良かったのに。」だのと言う人もいる。 実際そうした批判や助言が当て嵌まる様な状況だった可能性もある。 諸子百家の古典の多くは状況説明をしない。例えば『論語』も、孔子に都合の良い設定ばかり想定すれば彼を聖人として描けるし、都合の悪い設定ばか

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  • 遅れ馳せながら『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観た。 - gurenekoのメモ(終活中)

    昨日、遅れ馳せながら『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観た。 この作品には楽しみにしていた電脳丸腰庵さんの連載を一回停止された事があるので(参照→http://d.hatena.ne.jp/marukoshi-an/20090627/p2)、私にとっては遺恨のある相手である。「ホンモノなら帰依してやるしニセモノなら化けの皮を剥いでやる!」と、法論でも挑む様な気持ちで観に行った。 まず感覚面での感想から。 今回は使徒との戦いが五回行われたのだが、三回目の戦いは音楽と映像美の総合芸術と言えるものに仕上がっており、体の芯から身震いさせられた。これは映画の何倍も入場料を取られるコンサートに行っても常には味わえない身体的現象である。ストーリーを知的に理解するだけならDVDでも十分なのだが、身震いは大画面を前にして音が横からも来る状況でしか起こり得ないので、行って正解だったと言える。 続いてストーリー

    遅れ馳せながら『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観た。 - gurenekoのメモ(終活中)
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