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  • 【論争】渤海国は中国・朝鮮どちらに帰属するか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Work by Gzhao 「海東の盛国」と讃えられた中世・北東アジアの国 7〜10世紀、現在のロシア極東・中国東北部・北朝鮮には渤海国が大いに栄えていました。 渤海国はその歴史的位置づけを巡って議論があります。 中国では「中国の地方史」という位置づけで語られますが、韓国では「朝鮮の王朝」と位置づけて語れています。 中国は渤海が中国史の一部でないと、東北部の分離を招きかねず譲れない。一方で韓国では渤海が中国史ということになると北朝鮮中国の領土であることを認めることになり絶対に認められない。 「渤海国帰属論争」は現在の政治・領土論争と直結しており、互いの民族感情を刺激するセンシティブな議論です。 1. 論争のポイント この論争は「渤海は中国の地方国家か、朝鮮の国家か」という点を明らかにしようとするもので、いくつか主要なポイントがあります。 初代国王・大祚榮(だいそえい)は中国化した靺鞨人か

    【論争】渤海国は中国・朝鮮どちらに帰属するか - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 煬帝は「日出処」で激怒してない? 遣隋使研究のいま:朝日新聞デジタル

    「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没処(ひぼっするところ)の天子に致す」。7世紀、倭国(わこく、日)の国書を携え、中国大陸に向かった遣隋使。初めて派遣された年や、隋に対する優位感情が国書から読み取れるというとらえ方は変わってきている。 遣隋使は「607(群れなす)船」と語呂合わせで覚えた人も多いかもしれない。しかし、第1回の派遣は、600年という見方が現在では優勢だ。 遣隋使の記録は、「日書紀」と中国の「隋書」に残る。居宣長以来戦後の一時期までは、国内史料を特に重視する立場から、日書紀に記述がない600年は顧みられる機会が少なかった。だが、史料分析が進み日書紀の一部に誇張があることが明らかになり、隋書に残る600年を第1回と考える見方が広がった。 この7年の差は大きい。607年に次の遣隋使が派遣されるまでの間に、「冠位十二階」や「憲法十七条」が制定されるなど矢継ぎ早に改革が

    煬帝は「日出処」で激怒してない? 遣隋使研究のいま:朝日新聞デジタル
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