そうなると交通も自由にさせない。関所を設けた。川の渡しには番所を設けた。日本人が旅行するのにはそれぞれ目的が必要とされた。目的いかんによっては旅行を認めない。特に庶民は伊勢神宮に行くとか、高野山にお参りするとか信仰上の理由や家族に病人が出た、などという他は全く身動きできなくなった。 特に大都市の町々や各長屋では、入口に木戸が設けられた。午後6時に締まり翌朝午前6時に開けられる。したがって夜の12時間は完全に牢屋の中に入っているのと同じだ。檻の生活である。 家康はこうして日本中に檻をつくった。檻の中に人びとを閉じ込めた。これが徳川家康における、「日本の維持管理体制の確立」の実態である。 好都合な「武士の心構え」を植えつける 徳川家への忠誠度を物差しに、また人間の欲望を抑えつけてその逆エネルギーによって体制を維持する、ということは終始守られた。そのことを最も端的に表したのは、 「幕府の政策を批